稲垣先生曰く、なぜ田植え機があるのに、学生の実習で「手植え」を強いているのかが疑問でならないそうで――。(写真提供:Photo AC)
朝ドラ『らんまん』では、日本植物分類学の基礎を築いた一人・牧野富太郎博士をモデルとした主人公、牧野万太郎が日本各地で植物を採取し、植物図鑑を完成させるまでの生涯が描かれました。ドラマ内では「雑草という草はない」という名言も飛び出しましたが、植物学者として、むしろ“雑草戦略”で生き抜いてきたのが静岡大学教授で作家、「みちくさ研究家」の稲垣栄洋先生です。稲垣先生曰く、なぜ田植え機があるのに、学生の実習で「手植え」を強いているのかが疑問でならないそうで――。

「田植え」を知らない農学部生たち

私が今の大学に赴任したのは、十年前の七月一日のことである。もうすでに田植えは終わり、田んぼでは苗がすくすくと育っている季節だった。

「未来の田植えを想像して書きなさい」

私は学生たちにそんなレポート課題を出した。

まだ見ぬ未来のことだから、正解は誰にもわからない。つまり、何を書いても正解だ。ロボットが自動で田植えをしていてもいいし、ドラえもんのひみつ道具のような空想でもいい。田植えなんかしなくても米を作ることができるという空想でも良いだろう。

(学生たちは、どんな発想をしてくるのだろう)

楽しみに学生たちから提出されたレポートを読んで、驚いた。そこには、「未来には機械で田植えをしている」という答えがいくつかあったのである。

現代では、田植機で田植えをするのが一般的である。

いや現代どころか、田植機が普及をしたのは一九七〇年代だから、五十年以上前から田植えは機械が行っているのである。

(いったい学生たちは何を学んでいるのだろう)

率直にそう思った。