「田植えをやり終えた」という達成感が必要?

翌年、田植え実習の担当となった私は、手で植える面積を半分に減らした。そして、イネの苗を観察したり、田植機の仕組みを説明したりすることに、時間を割くことにした。

すると、思いがけず、古参の先生方から苦言をいただいた。「田植機が動いているのを見るだけでは田植えの実習にならない」というのである。

『雑草学のセンセイは「みちくさ研究家」』(著:稲垣栄洋/中央公論新社)

(いったい手で植える意味ってなんだろう……)

「半分しか植えさせないのは中途半端でいけない。田植えをやり終えたという達成感があったほうがいい」

という意見もあった。

(いやいや達成感はサークルかどこかで学んでくれよ……)

田植機を使わずに手で植えるということは、自動車や電車を使わずに歩いてみよう、というのと同じことである。確かにそのほうが達成感はあるけれど、それで良いのだろうか……。