「100だろうが、103だろうが105になろうが、何がどう変わるわけでもありません。みんなが乗っている電車が目の前を通りすぎていくのを、ひとりただ見送っているようなものです。」(撮影:本誌編集部/2023年9月13日、インタビュー原稿の確認中に撮影)
〈発売中の『婦人公論』11月号から記事を先出し!〉
2022年9月号から1年あまり連載されたエッセイ「思い出の屑籠」をこのたび単行本として上梓する佐藤愛子さんは、11月5日に満100歳を迎える。百寿者とは思えぬ仕事ぶりだが、本人のご様子やいかに(聞き手・構成・撮影◎本誌編集部)

「飛脚の佐藤」も今はヨロヨロ

11月のお誕生日で100歳に。

――誕生日もヘチマもありませんよ。まだ死んでいない、それだけのこと。100だろうが、103だろうが105になろうが、何がどう変わるわけでもありません。みんなが乗っている電車が目の前を通りすぎていくのを、ひとりただ見送っているようなものです。

「思い出の屑籠」は最後の力を振り絞って書きました。今、単行本のための校正を済ませたところ。本を出すのも、これでもうおしまい。

 

97歳の時に、長年続いた女性誌のエッセイ連載で断筆を宣言した。しかし昨年、本誌で「思い出の屑籠」の連載が開始。

――25歳で小説家を一生の仕事にしようと決めて以来、書き続けて72年。精根尽き果てスッカラカンになって、もう書けないと筆をきました。でも、そのうちヒマでヒマでたまらなくなって、思い出すままによしなしごとを書き始めていたんです。それが溜まりに溜まってどうしようかと編集者に見せたら、いつの間にか『婦人公論』での連載になっていたわけです。

どのくらい前から書いていたかって? さあ、どうだったかしらね。もう今じゃ、いろんなことを片っ端から忘れるんですよ。これは、死に支度ですね。すべて忘れるっていうことは。余計なことは覚えておく必要がないんだから。

仕事をやめた今は、退屈なもんですよ。半分ボケたバアサンに仕事の用件で訪ねてくる人もいないから、毎日ウツウツとしています。