歌人の俵万智さん(右)と、若手歌人として活躍する岡本真帆さん(撮影:大河内禎)
SNSに投稿した作品で注目を集め、若手歌人として活躍する岡本真帆さん。中学生の時に俵万智さんの短歌に出合い、衝撃を受けたと言います(構成=篠藤ゆり 撮影=大河内 禎)

短歌との出合い

 私は真帆さんの歌が好きで、第一歌集『水上バス浅草行き』も繰り返し読ませていただいていますが、実際にお目にかかるのは今日が初めて。楽しみにしてきました。

岡本 ありがとうございます。私が俵さんの歌と初めて出合ったのは、中学の教科書の中でした。とくに心に突き刺さったのがこちらです。

 

「寒いね」と話しかければ
「寒いね」と
答える人のいるあたたかさ

 

生まれ故郷の高知県・四万十で高校時代まで過ごしましたが、当時通っていた塾の外階段がすごく寒くて。「寒いと寒いが合わさってあたたかいと言えるなんて本当にすごいなぁ」と噛みしめた瞬間のことを、今もよく思い出します。

たった31音でこんな世界が描けるんだと感激しました。

 私が第一歌集の『サラダ記念日』を出したのが1987年。その頃、岡本さんは……。

岡本 89年生まれなので、生まれる前です。

 わっ、その方が歌人としてこんなに立派に活躍しているなんて! 短歌を始めようと思ったのはいつ頃?

岡本 漠然と都会に憧れて、高知を離れ東京の大学に進学してからです。ただ、雑誌で穂村弘さんが連載している短歌投稿企画を読んで、打ちひしがれてしまって……。

 どういうこと?

岡本 皆さんの投稿作品を読んで、こんなすごい短歌は自分には作れないと思ったんです。その後、東京の広告制作会社でコピーライターとして《言葉》を扱う仕事をするようになり、少し自信がついたんでしょうね。

社会人3年目の頃、今だったら自分の表現ができるかもしれないと、短歌を作り始めました。

 私は小さい頃から《言葉》に興味があって。大学時代、歌人の佐佐木幸綱先生の「日本文学概論」の授業に感銘を受け、先生の著書を片っ端から読んでいったら、歌集に出合いました。

「あっ、短歌って古めかしいものではなく、今も生き続けている表現手段なんだ」と感じ、自分も作ってみたいと思ったのがスタートです。