「毎日、大島とにらめっこしながら歌を詠んでいると、気持ちが広々とするんですね。あの情景は、私にとって非常に幸福な環境でした」(撮影:藤澤靖子)
民俗学者の故・折口信夫の最後の弟子であり、宮内庁御用掛や宮中歌会始の選者を長年務めたことでも知られる、歌人の岡野弘彦さん。あと半年ほどで100歳になる今も、歌を作り続けているという(構成=篠藤ゆり 撮影=藤澤靖子)

御行幸に同行することも

2024年7月に100歳を迎えます。ここまできわめて自然に生きてきましたから、100歳と言われても「ああ、そうか」という程度で、特に改まった感動があるわけではありません。今はもう、宮中歌会始の選者も退き、宮中へ伺うこともほぼなくなりました。東京都内の高齢者住宅で毎日歌を詠みながら、心静かに暮らしております。

宮内庁御用掛としてお声がかかったのは1983年です。天皇陛下、皇后陛下をはじめ皇族方は、折目折目に和歌をお詠みになり、発表なさるのがならわしです。また、月次(つきなみ)の歌会もあります。

昭和天皇の頃よりその御相談役を務め、わりあい頻繁に宮中に伺っておりましたし、ときには御行幸の際、お供をすることもありました。

95歳までは伊豆で暮らしていましたので、宮中に御召があるたびに東京に行っていました。伊豆の家は、海に面した斜面の上に建っており、目の前に大海原や伊豆七島が見渡せる。そして海の彼方(あなた)に、心の焦点みたいな感じで、大島が浮かんでいるわけです。

毎日、大島とにらめっこしながら歌を詠んでいると、気持ちが広々とするんですね。あの情景は、私にとって非常に幸福な環境でした。