NHK大河ドラマでは「桶狭間の戦い」や「関ヶ原の戦い」など、大名間での存亡をかけた合戦が描かれてきました。しかし歴史学者・渡邊大門先生によると「他国の大名だけでなく、親子や兄弟、家臣との抗争も同じくらいに重要だった」そうで――。そこで今回は、渡邊先生の著書『戦国大名の家中抗争 父子・兄弟・一族・家臣はなぜ争うのか?』から「斎藤道三・義龍親子」についてご紹介します。
義龍は道三の実子だったのか
斎藤道三は後述するとおり、子の義龍(よしたつ)と争った。その理由として、義龍が道三の実子ではなかったという説がある。
道三には小見(おみ)の方という正妻がいたが、側室・深芳野(みよしの)の存在も知られている。
深芳野は、丹後国の名門である一色義清(よしきよ)の娘といわれているが、詳しいことはわかっていない。生没年すらも明らかでなく、深芳野の生涯はほぼまったく不明である。
では、どのようにして、道三と深芳野は結ばれたのであろうか。