野球グラウンド
一日中この景色を眺めています。まだまだクーラーボックスの中身は冷却グッズでいっぱいですが(写真提供◎大神さん 以下すべて)
大神いずみさんは、元読売巨人軍の元木大介さんの妻であり、2人の球児の母でもある。2人の球児の母として伴走する大神さんが日々の思いを綴る。

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18歳までは博多弁バリバリだった

わたしは福岡出身で、18歳までは地元の博多弁バリバリな言葉を喋っていた。

「今日なんしとったとー?(今日何してたの?)」
「あした塾げな。遊ぼうと思いよったのに、ほんにしゃあしかぁ。
(あした塾なんだって。遊ぼうと思ってたのにホントめんどくさい。)」

その私が大学の進学で東京(神奈川)に出てきてあっという間にこちらの言葉に慣れ、気がつけば会社に入ってアナウンサーになるための研修を必死で受けていたわけだが…。

ある日ナイター中継終わりの2分間天気予報を担当した時のこと。
15秒の顔出しはフリートークで、「こんばんわ」のあとに一言二言話すことを考える。

新人の頃はこの15秒のコメントを何度も何度も何度も練習して、
本番のカメラに赤いランプがついた瞬間、

ボンっ!!

覚えたコメントが頭の中で真っ白になり、あんなに何百回も練習したのに何も言葉が出てこない。無言のうちに天気図に切り替わって予報の原稿を読む…と言う悪夢を何度も経験した。
(これ、度胸の問題らしく、最初から平気な人は全く言い澱まない。私はまともにできるまで5年はかかった気がしている)

天気予報の台本
ちょうど日付は31年前の今頃。こんな数行のコメントの顔出しに苦労していたとは。文章の真ん中あたりに適当な赤マルをつけると、不思議と言い澱まなくなる、とアナウンス室の間で言われてました