戦後最大の冤罪事件「袴田事件」。見込み捜査と捏造証拠により袴田巌さんは死刑判決を受け、60年近く雪冤の闘いが繰り広げられてきました。88歳の元死刑囚と袴田さんを支え続けた91歳の姉、「耐えがたいほど正義に反する」現実に立ち向かってきた人々の悲願がようやく実現――。ジャーナリスト粟野仁雄氏、渾身のルポルタージュ『袴田巖と世界一の姉:冤罪・袴田事件をめぐる人びとの願い』から一部を抜粋して紹介します。
判決まで3か月を前に袴田ひで子さんが渾身の挨拶
歴史的判決まで3か月を切った2024年6月30日、事件からちょうど58年、JR清水駅近くの清水テルサで、年2回の恒例の「袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会」(楳田民夫代表)の支援集会があった。
若き日の袴田巖さんと家族づきあいしていた渡邊昭子さん(90)が登壇し、「警察がすぐに来て、アルバムの巖さんの写真をはがしていった。夫 (蓮昭さん)は巖君が犯人のはずがない、と怒っていた。
『太陽』(夫がバンドマンだったキャバレー)の女性もみんな、おなかちゃん (巖さんのあだ名)がそんなことをするはずがない、って言ってました」など、長男秀昭さんに付き添われて語ってくれていた。
その前に、ひで子さんがあいさつしたが、いつもは簡潔に話をする彼女も、さすがに積年の思いが募ってきたのか、珍しく15分以上語った。そのまま紹介する。
今日は6月30日で、事件が起きてから58年でございます。58年前というとわたくしは33歳でございました。年月が過ぎるのは早いものですねえ。
今まで再審開始になるまでは、年月なんて関係ないように思っておりましたの。それが再審開始になりまして、精神的にちょっとあれがあってなんとなく、しばらく考えていましたら。
なるほど58年は長い。何でこんな長い間、わたくし(聴取不可)でねえ、過ごしていたんですよ。
自分が91なんてぴんと来ないんですよ。若いつもりでいるんですが。91歳には間違いございません。まあ、58年前は大変でした。