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『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』。24年12月1日の放送では「刀伊の入寇」が描かれました。花山院に矢を放った「長徳の変」をきっかけに、力を失った伊周・隆家兄弟でしたが、一方で<日本を救った英雄>とも言われている隆家。道長の全盛期に九州へ異民族が襲来。老人・子供は殺害、壮年男女が捕虜として連れ去られるなど、突如瀕した国家の危機に対応したのが彼だったのです。歴史学者・関幸彦先生の著書『刀伊の入寇』よりその一部を紹介した記事を再配信いたします。(初回配信:2024年05月17日)

隆家の失意

そもそも刀伊の入寇とは…

藤原道長が栄華の絶頂にあった1019年、対馬・壱岐と北九州沿岸が突如、外敵に襲われた。東アジアの秩序が揺らぐ状況下、中国東北部の女真族(刀伊)が海賊化し、朝鮮半島を経て日本に侵攻したのだ。

道長の甥で大宰府在任の藤原隆家は、有力武者を統率して奮闘。刀伊を撃退するも死傷者・拉致被害者は多数に上った。

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権力の帰趨は外戚関係の有無が大きい。一条天皇に入内した定子・彰子いずれも皇太子候補を誕生させたが、定子の場合は父道隆の死去で後見を失ったことが影響した。

花山院誤射事件による伊周・隆家の左遷も中関白家に逆風となった。

とはいえ、隆家たちにも希望はあった。定子所生の敦康親王の立太子への望みである。

しかし、それも彰子所生の敦成親王誕生で状況は微妙となる。一条天皇は道長との関係を慮かってか、寛弘8年(1011)の三条天皇への譲位にさいし、将来における東宮として敦成を指名したのだった。

隆家の失望は大きかった。