24時間マラソンで数々の有名人走者をトレーニングし、伴走する姿でおなじみの坂本雄次さん。坂本さんは100kmの”ウルトラマラソン”を各地でプロデュースした、市民マラソン界のレジェンドでもあります。その坂本さんを61年間支えてきたのが奥様の節子さん。2024年3月に亡くなられましたが、各地の大会では参加者をサポートする節子さんに勇気づけられる人も多かったそう。今回その坂本さんが奥様との関係を記した著書『天国ゆきのラブレター』より、テレビでの活躍が始まったきっかけについてご紹介します。

吉本興業からの電話

ある日、吉本興業から一本の電話があった。

縁もゆかりもない芸能界からの電話。いったい何だろう、といぶかしみながら電話に出ると、タレントの間寛平さんのマネジャーからだった。

「寛平さんが東京から大阪まで走るにあたり、東海道を走るルートがわからないのでルート図を借りることはできないか?」という用件だった。

かつて東海道駅伝でつくったコース地図のことだ。私は快諾してルート図を吉本興業に送った。

2カ月後、今度はテレビ番組制作会社のプロデューサーから電話があり、「東海道を走る寛平さんが湘南に差しかかるので応援に来てくれないか?」ということだった。私は前後のいきさつも状況もわからないまま、辻堂海岸で制作会社の人と合流した。

やがて、長く使い込んだような野球帽をかぶり、肌着のような白Tシャツにランニングパンツ、といういでたちの寛平さんがやってきた。