面倒ごとの9割は、人生で身に着てきた「こだわり=執着」のしわざと説くのは、真言宗密蔵院住職の名取芳彦さん。心おだやかでいられる時間と事を増やすには、「執着じまい」「こだわりじまい」「面倒なことじまい」が必要だといいます。執着の手放し方について説いた『60歳を過ぎたら面倒ごとの9割は手放す 我慢してばかりの人生から自由になる54の教え』より一部を抜粋して紹介します。
夫婦じまい
夫は外で働いて生活費を稼ぎ、妻は家庭をしっかり守る良妻賢母。そんな夫婦のイメージは、今は昔の話です。
経済も家事も対等だったり、婚姻という法律に縛られないパートナーのような関係だったりする若い世代の夫婦関係を見て、「これまでの自分たちとは違う夫婦の形もありかもしれない」と思うことがあるでしょう。
とはいえ、私は、何十年も連れそった夫婦に、まったく別の、新しい夫婦の形を提案するつもりはありません。
今までの夫婦の関係を、少しだけ変化させてみてはどうかと思うのです。その土台になるのは、「自分だけ働いてきた」「自分だけ家事をしてきた」という自己犠牲の思いを捨て、「あなたのおかげで働けた」「家事に専念できた」という感謝の心で過ごすこと。
これがないと、犬も食わないケンカがはじまります。
江戸時代の侠客(きょうかく)、上州館林の大前田英五郎は「ケンカというのは、どちらに理屈があろうと、バカを看板しているようなものだ」と言ったとされますが、自己犠牲のアピール合戦が、この言葉を絵にしたようなドタバタ劇を生むことは、私も何度も経験しています。