「ひとつの国の市民として、確実に未来を奪われる政治を許していいのでしょうか。中国とも台湾とも事をかまえず、平和に生きていく知恵を、日本人は求められていると思います」(撮影:宮崎貢司)
年齢を重ね、体に不自由は感じても、やらなければならないことがある。澤地久枝さんは「戦争に反対する」という一貫した信念のもと、執筆を続け、毎月3日に国会正門前に立ち、静かな意思表明を続けてきた。新年に思うこと、書こうとしている作品、そして戦争を知らない世代になにを伝えていきたいか。いまの思いを聞いた(撮影:宮崎貢司)

混迷の世界で暗夜の光の役割を

新しい年を迎えて、私にはやはり緊張があります。2025年は、敗戦の年から80年になるのです。あの8月15日、世界は一切の戦争行為をやめ、第二次世界大戦は終わりました。日本は最後まで戦っていた国でした。

その後、この国からは徴兵制度がなくなり、女たちは選挙権を手にします。天皇は人間宣言をして、神の座から人間の座へと移られました。

しかしその最中、私は満洲(現・中国東北部)で暮らしていたので、14歳から15歳までのほぼ1年間、日本国内の大きな変化に触れていません。選挙によって女性の国会議員が多数誕生したことも知らないまま、異民族のもと、難民生活をしていました。

いまは94歳になって、しかも転んで、杖なしでは歩けない腰曲がりの「老人」です。

老人になっても、私の心は熱いと思います。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞に喝采を送り、私も核兵器禁止のため、なにか役割を果たしたいと思う。

なにより、日本が軍事同盟下で台湾海峡の有事を想定し、石垣、宮古、与那国の島々に自衛隊基地を作ったこと。いったん事が起きたら、住民には家業も家も捨てて、九州へ集団移動させると言います。そこで営々と働き、生きてきた人たちは、80年前と同じ、家なき難民になる――。

ひとつの国の市民として、確実に未来を奪われる政治を許していいのでしょうか。中国とも台湾とも事をかまえず、平和に生きていく知恵を、日本人は求められていると思います。