「『社長シリーズ』の三木のり平が最高だな、と思いましたね。何かあの質感が好きでした。この人の弟子になりたい! と思うくらい憧れましたね」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第39回は俳優の石倉三郎さん。幼少期、家族が映画館で働いていたことで、何千本もの映画を観ていたという石倉さん。二十歳の時に、俳優になりたいと上京し高倉健さんと出会ったそうで――。(撮影:岡本隆史)

この人の弟子になりたい!

コント・レオナルドで脚光を浴びた時代をよくは知らないが、NHK連続テレビ小説『ひらり』(1992年)の深川銀次役、寝転んでキャベツを一枚ずつ剥がして食べながら相撲部屋のおかみ(池内淳子)を思う姿が強く心に残っている。

その後、映画『四十七人の刺客』(94年)では、赤穂浪士でただ一人生き残る瀬尾孫左衛門、歌舞伎で言えば足軽の寺岡平右衛門に当たる大役で、高倉健の大石内蔵助とからむ場面があり、あの銀次が、と嬉しかった。

そして2011年、新国立劇場で名優・橋爪功と堂々と渡り合う『ゴドーを待ちながら』のエストラゴンで出てきた時は、いよいよ本物の俳優になった、と喜んだ。石倉三郎さんの少年時代って、どんなだったのだろう。

――親父は大阪船場の結構大きな仕出し屋のでしたけど、戦争中に空襲で焼け出されましてね。親父の大叔母が小豆島にいたんで一家で頼っていって、僕はそこで生まれました。終戦の翌年ですね。

親父は島では道路工事とかしか仕事がなくて、すぐに一人で大阪へ。そこで板前になるわけだけど、ちっとも仕送りをしてこないから、お袋が4人の子供抱えて苦労するわけですよ。