大阪・関西万博の開幕に伴い、1970年に開催された大阪万博にもたびたびスポットライトが当てられています。そんななか、人気雑誌『昭和40年男』創刊編集長の北村明広さんは、大阪万博後の昭和46年以降を「昭和後期」と定義し、この時代に育った人たちを「次々と生み出されたミラクルに歓喜しながら成長した世代」だと主張します。今回は北村さんの著書『俺たちの昭和後期』から一部を抜粋し、再編集してお届けします。
アメリカと切っても切れないカップヌードルの登場
昭和46年9月18日、『カップヌードル』が世に放たれた。日清創業者の安藤百福は実業家でありながら、技術開発者であり発明家だ。
明治43年に生まれ、終戦を迎えたのが35歳だった。
敗戦後の食糧難に心を痛めた。闇市で見たラーメンの行列に、誰でも気軽に食べられるラーメンの開発を思いつく。が、戦前よりの実業家だった安藤は自身の事業を優先し、ラーメンの開発に手をつけることはなかった。
時は流れて昭和32年、自身が理事長を務めていた信用組合が破綻して財産の全てを失う。だが本人曰く、失ったのは財産だけで経験があると、一念発起して即席ラーメンの開発に没頭する。明治生まれの強さか、敗戦経験からくる負けじ魂か。
翌年、昭和33年8月25日に商品化にこぎつけた。昭和後期世代に知らぬ者はいないだろう、『チキンラーメン』が発売となった。昭和中期の「もはや戦後ではない」宣言後だ。
家事の苦労を軽減する。気軽に栄養が取れる。すぐおいしい。
豊かな暮らしを求め始めた社会と合致させるように、情熱と執念を注ぎ込んだ発明であり商品だ。