哲学の教授がさぐる「kawaii」の根源にあるものとは
かわいいものだけを見ていたい。疲れた自分をいやせるのは、「かわいい」という魅力だけ。いま、そんなふうに日々を生きている人は多い。昔は、大人になっても少女趣味を卒業しないのは日本人だけだと言われていたが、いまや「kawaii」は世界語。エロティックな「萌えキャラ」グッズを買ったり、フリルだらけのメイド服を着たいばかりに来日する外国人も大量に出現している。
新しい流行は批判されるのが世の常だ。日本的「かわいい」の世界も、成熟を拒否しているだけだとかグロテスクだとか、さんざん叩かれてもいる。しかしこれだけ人々に広く支持されるものは、無価値ではないだろう。「かわいい」とは何か、その魅力の根源はどこにあるのか。それを探るのは、哲学の教授である。
「かわいい」あるいは「キュート」とはこういう種類の価値である、という単純な答えを出すことを注意深く避けながら、この本はめまぐるしいほどたくさんの対象に目を向ける。
年々、頭部と目が巨大化し幼児化していったミッキーマウスや、小さく弱々しい姿のE.T.などが、二つの世界大戦があらわにした暴力と残酷さへの嫌悪を象徴してきたことも、日本が自らのサムライ的国家イメージを敗戦とともに捨て、「無垢さ」「優しさ」を看板にしなければならなかった経緯も、非常にシャープにとらえられている。
著者は、「かわいい」ものに含まれる不気味さや不安定さに注目している。じつはここが重要であり、「かわいい」ものはある面で不穏なのだ。そして人間は、その不穏さを必要としている。「かわいい」の世界に甘くない光を当て、正当に評価するよい論考だ。
『「かわいい」の世界』
著◎サイモン・メイ
訳◎吉嶺英美
青土社 2200円
著◎サイモン・メイ
訳◎吉嶺英美
青土社 2200円