「本当の自分」を守るための戦い
年配者は過去にこだわる。過去を引きずる。過去の自分のまま、これからも生きようとする─―それは当たり前のことだ。いまの自分をつくっているのは、過去に自分が経験したさまざまな出来事であり、過去に知った知識だからだ。
年配者がこだわる過去を端的に示すなら、自身の「アイデンティティ」にほかならない。自分の絶頂期を思い返し、それこそが「本当の自分」だと思い、当時の「自分らしさ」を守ろうとする。それを崩されると、自分が自分でなくなるような気がする。
年配者は「本当の自分を守るための必死の戦い」をずっと続けているのだ。
人によってはファッションにこだわる。過去のスタイルをそのまま再現しようとするわけではなく、かつての「おしゃれな自分」「できるビジネスパーソンとしての自分」「知的な自分」「自由人としての自分」を服装で演出しようとする。
行きつけの店にもこだわる。当時と同じ美容室に通い続ける人、それどころか髪が薄くなってもずっと同じ髪型を通す人もいる。同じレストランに出かけて、当時よく座っていた席を取ろうとする人もいる。昔からの日課を続けることにこだわる人も多い。
私の父は40年近く公務員として働き、その後は別の仕事に就いて、自宅の敷地内に構えた事務所で働いた。自宅の玄関から事務所までは20メートルほどなのに、80歳近くまでスーツにネクタイ姿を頑なに変えなかった。
実家のある日田の夏は暑い。それでも35度近い真夏でもネクタイを外さなかった。さすがに80歳すぎてからはつらくなったようで、ラフな姿に変わったのだが。
私の友人にも、内輪のくだけた集まりなのにスーツ姿で現れる人がいる。私が思うに、父もその友人も「自分のスタイルを変えるのが怖かった」のだと思う。そんな強迫観念のような意識があるのだろう。