(写真提供:Photo AC)
定年後、年配者としての話し方や振る舞い方が分からず悩んでいる人も多いのではないでしょうか。作家の樋口裕一さんは「キーワードは、フランス語の『サメテガル』にある。フランス人の日常会話でよく使われる言葉で、日本語に訳すと『どっちでもいい』となる」と話します。今回は、樋口さんの著書『70すぎたら「サメテガル」: 「老害」にならない魔法の言葉』から一部を抜粋し、再編集してお届けします。

「本当の自分」を守るための戦い

年配者は過去にこだわる。過去を引きずる。過去の自分のまま、これからも生きようとする─―それは当たり前のことだ。いまの自分をつくっているのは、過去に自分が経験したさまざまな出来事であり、過去に知った知識だからだ。

年配者がこだわる過去を端的に示すなら、自身の「アイデンティティ」にほかならない。自分の絶頂期を思い返し、それこそが「本当の自分」だと思い、当時の「自分らしさ」を守ろうとする。それを崩されると、自分が自分でなくなるような気がする。

年配者は「本当の自分を守るための必死の戦い」をずっと続けているのだ。

人によってはファッションにこだわる。過去のスタイルをそのまま再現しようとするわけではなく、かつての「おしゃれな自分」「できるビジネスパーソンとしての自分」「知的な自分」「自由人としての自分」を服装で演出しようとする。

行きつけの店にもこだわる。当時と同じ美容室に通い続ける人、それどころか髪が薄くなってもずっと同じ髪型を通す人もいる。同じレストランに出かけて、当時よく座っていた席を取ろうとする人もいる。昔からの日課を続けることにこだわる人も多い。

私の父は40年近く公務員として働き、その後は別の仕事に就いて、自宅の敷地内に構えた事務所で働いた。自宅の玄関から事務所までは20メートルほどなのに、80歳近くまでスーツにネクタイ姿を頑なに変えなかった。

実家のある日田の夏は暑い。それでも35度近い真夏でもネクタイを外さなかった。さすがに80歳すぎてからはつらくなったようで、ラフな姿に変わったのだが。

私の友人にも、内輪のくだけた集まりなのにスーツ姿で現れる人がいる。私が思うに、父もその友人も「自分のスタイルを変えるのが怖かった」のだと思う。そんな強迫観念のような意識があるのだろう。