喫茶店の上にギャラリーがある。おそろいのセーターを着て/書家の金澤翔子さん(右)と母・泰子さん(左)(撮影:藤澤靖子)
大河ドラマ『平清盛』の題字を担当するなど、金澤翔子さんは書の世界で活躍してきた。ダウン症の翔子さんに書道を手ほどきしたのは、母・泰子さん。二人三脚で活動を続けてきたが、泰子さんは自分の没後、娘が書家として生きていくのは難しいと考えている。終活を始めた母と娘は喫茶店を開くことに――(構成:田中有 撮影:藤澤靖子)

前編よりつづく

腕を組み歌いながら散歩した

――翔子さんが14歳の時、父の裕さんが急逝。泰子さんは自身の没後、ひとりっ子で知的障害のあるわが子がどうすれば幸せに生きていけるのか、考え続けてきた。

泰子 翔子は商店街にあるマンションで8年以上、ひとり暮らしを続けました。ダウン症のある人が介助者もなくひとりで生活したのは、稀有な例だと思います。正直、私は3ヵ月で実家に戻ってくるだろうと……。

でも、町の皆さんに本当に助けていただいて。できないと思っていた買い物も、ゴミの出し方も、ご近所の方に教わりながら覚えていきました。翔子が自転車でご近所を探索しているのを、皆さんで見守ってくださった。

私が出かけると、あちこちで翔子のことを教えていただき、何も心配はなかったです。書家の仕事がある時は私と待ち合わせて、終われば自分の家に一目散で帰っていきました。

ただひとつだけ困ったことがありまして。翔子はひとり暮らしで好きなものを食べていたせいか、横綱みたいに太ってしまったんですよ。どうしようと思っていたら、コロナ禍になって書道のイベントがみんな中止になった。それで、毎日ふたりで散歩することにしたんです。

翔子 散歩ね。歌、うたいながら。(両手を組み合わせて)♪し~らない、ま~ちを、あるいてみ~た~い……

泰子 (歌声をバックに)厳しい散歩(笑)。私の左側に翔子がビタッとくっついて、毎日8000歩は歩きました。このあたり一帯は完全制覇しましたよ。ここが開店するまで毎日夕方、5年近く続けました。