度胸をつけるため演劇サークルへ
のびのびとして世俗にとらわれず、軽やかで自由な感じの俳優としてずっと注目してきた。ウィットに富む目の動きもチャーミング。京都出身の佐々木蔵之介さんは小劇場での活動の後、2000年にNHK連続テレビ小説『オードリー』でブレイクする。
それからは大舞台での活躍が多くなり、14年のスーパー歌舞伎II『空ヲ刻ム者―若き仏師の物語』や、同年の『ショーシャンクの空に』を私は観ている。
その蔵之介さんが、今年は世界の檜舞台に大きく羽ばたくことになった。ルーマニアのシビウ国際演劇祭を始めとする東欧ツアーで、ルーマニアの国民的詩人マリン・ソレスク作、同じく大演出家のシルヴィウ・プルカレーテ演出による一人芝居『ヨナ‐Jonah』で大成功を収め、この秋にはその凱旋公演があるという。
――僕は京都二条城近くの造り酒屋の次男なんですが、兄が家業を継がないと言うので、僕が継ぐつもりで大学は農学部に行きました。いつか酒造の仕事を始めたら営業もちゃんとしなくちゃいけないわけですが、僕は人前で話すことが得意じゃなかった。それで度胸をつけるために演劇サークルに入ったんです。
その新人公演の時に先輩から電話が来て、「明日チラシの入稿だから芸名を考えろ」と言われた。その時、一緒にテレビのナイターを見ていた父が、「酒屋の伜なんだから蔵に縁があるし、大石内蔵助にあやかって、佐々木蔵之介でどうや」って。その時はこの名前が、ずっと後まで僕の芸名になるなんて、父も僕もまったく思ってなかったですね。
大学卒業後は、実家が酒造メーカーなので、どう売るかを考えるために広告代理店に入社。新聞、雑誌、ラジオ、テレビといろいろプロモーションの仕方を勉強して、着々と家業を継ぐための道を歩いてました。だから第1の転機というのは、家業を継ぐと決心した時。初めて自分の将来の方向性を決めたことがそうでしょうね。