「何しろ彼女、初デートのときは、ママチャリに乗って登場しましたからね。「近いから」とか言って、平然と」(『婦人公論』2001年11月7日号より 撮影=滝浦哲)
歌手の西城秀樹さんが亡くなって2年。5月26日発売の『婦人公論』2020年6月9日号では三回忌を終えた妻・美紀さんのインタビューとともに、西城さんが2001年の新婚当時に本誌に語ったインタビューの抄録を掲載しています。その2001年のインタビュー全文をご遺族の許可を得てここに再掲。さまざまな恋愛を含む人生経験を経てきた40代の西城さん、結婚生活を通して見えてきたこととは――(構成=平林理恵 撮影=滝浦哲)

初デートに“ママチャリ”で登場した妻

6月末に結婚しましたが、式の当日までは何かと気ぜわしく、終わってからも何だかバタバタしていて、ここへきてやっと、落ち着いて2人の生活が送れるようになったところなんです。僕の時間の使い方や生活そのものは、結婚したからといって、特に大きく変わった点はありません。

もちろん彼女の手料理が楽しみとかそういうことはありますよ、だけど、変化を感じるのはもっとメンタルな部分ですね。仕事に今まで以上に集中できるようになった。それは彼女の日常的な気遣いという直接的なサポートもあるでしょうし、僕自身が仕事に向かうときの気持ちが変わってきたということもあると思う。

生活水準を守るのは僕の責任ですから、やっぱり、仕事はがんばらないと。結婚したことで、それぞれがステップアップしていけたらいいなと思っているのですが、その気持ちが、いい影響を与えているような気がしますね。

彼女と出会ったのは2年前です。知人を交えた食事会だったので、そのときは顔見知りになった程度だったんだけれど、1年ほど前からきちんとおつきあいするようになりました。当時の僕は、まあ、いわゆる独身貴族ですね。はた目には優柔不断にも、チャランポランにも見えたかもしれない。

決して独身主義だったわけではありません。真剣に恋愛をした日々はもちろんあったし、結婚したいと思った時期もあった。でも、やっぱり縁がなかったんでしょうねえ。そんなこんなで40代になり、もう結婚はいいや、独身貴族を通そうと決めたちょうどそのころ、彼女が僕の前に現われたんです。

恋に落ちたとか、ピンときたとか、そういう言葉はあてはまりません。何て言ったらいいのかなあ、彼女と一緒にいると、リラックスできる風が吹いてくるみたいな気がした。それがどうしてなのかわからなくて、何だろう、もう一度会ってみたいな、そういうことの積み重ねでした。2人の間に流れる空気がすごく自然で、素のままの自分を見せ合えた。彼女は相手の前で自分を飾ろうという感覚がまったくない人なんでね、僕も自然に裸の心で向き合えるようになったんでしょう。

何しろ彼女、初デートのときは、ママチャリに乗って登場しましたからね。「近いから」とか言って、平然と。新鮮だったかって? いやいや、新鮮を通り越して、「え?」という驚きのほうが大きかった(笑)。服装も飾り気がなく、でも自分のスタイルはしっかり持っている、そんな印象でした。

彼女は大阪の土木関係の会社に勤め、下水道の設計の仕事をしていたんですが、これが相当忙しかったらしくて、聞けばテレビをあんまり見たことがないと。当然、芸能界の事はまったく知りません。ヘルメットをかぶって現場に行ったり、夜中まで図面を引いたりする毎日を楽しそうに語る女性は、それまで僕の周りにはいなかったので、非常に興味深かったですね。まったく違う世界にいる2人なのに、会話が弾むことが不思議で、おもしろいこともあるなあと思いました。

それから、これは結婚の決め手とは言えませんが、確実に後押ししてくれたのは、両方の家族がこちらのつきあいが深まるよりも早く、われわれ以上に仲良くなってしまったこと。僕の実家でやっているステーキハウスに、家族そろって遊びに来たり、ディナーショーを見に来てくれたりと、何度も顔を合わせているうちに、結婚話が両家のあいだで自然に盛り上がっちゃったみたいで。

本日発売の『婦人公論』6月9日号では、妻の木本美紀さんのインタビューも掲載

僕の母や姉は彼女のことが大好きになり、片や彼女のお父さんは完全に僕の味方、絵に描いたようにスムーズに話がすすみました。18歳の年齢差があることも、僕の仕事が特殊だということも、誰も問題にしなかった。ただ、彼女は今となって、このことがちょっとプレッシャーになっているようです。「ここで務まらなかったら、私はどこへ行っても務まらない」、よくそう言っています。