大戦末期、戦艦大和とともに沖縄水上特攻を命じられた駆逐艦響は周防灘で触雷、落後する。乗組員の浦賀少尉は、日本の内海すら米軍の機雷で埋め尽くされた現実に愕然とする。
戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!

 
「錨揚げ」
 時計が〇七三〇ぴったりを差した瞬間、揚錨機(キャプスタン)のそばで浮田が怒鳴った。
 味気ないながらも量のある朝食を終えた乗組員は、円柱型の揚錨機まで走り、竿を差し込む。乗組員に交じって浮田が「エイエイ」と声を張り、みなで渾身の力を込めて竿を押すたびに揚錨機が少し回り、重く太い錨鎖がゆっくりと巻き上げられる。
「前進微速。面舵三〇度」
 揚錨が終わるとブリッジで浦賀が命じ、駆特五号は仮泊していた島影を静かに離れる。
 駆特はもともと、旧海軍が潜水艦対策のために設計した第一号型駆潜特務艇というタイプの漁船型木造船で、二〇〇隻ほどが急造された。戦後は対潜装備を降ろして掃海具を積み、掃海に使用されている。
 揚錨の重労働で汗みずくになった乗組員たちは、渡したロープに吊り下げていた救命胴衣を着け、それぞれの持ち場に散ってゆく。浮田はいちど艇内に降り、それからブリッジに戻ってきた。
「船首のムシロは詰め直しておきました。洩れだす水(アカ)は二人使って汲み出させています」
 ふたりきりでないから、浮田は航海長の言葉遣いで艇長の浦賀に報告する。
「ご苦労」
 浦賀はこちらも艇長らしく、重々しく返事をした。
 駆特五号は、船首に小さな穴が開いている。二日に掃海を終えたあと、錨を巻き上げる労力を節約すべく、いつもどおり浅い海域を探して仮泊した。だが引き潮の加減を読み違え、朝方には船体が、あらわとなった海底に乗っかった。ちょうど背の低い岩礁があって、もろい木造船の左舷船首を割っていた。
 修理のため帰港してもよかったが、浦賀より長く駆特五号に乗っている浮田が、「空いた穴は次の定期整備まで俺が面倒を見る」と進言してきた。修理中は乗組員に航海手当も危険手当も出ないからもったいない、という理由だった。浦賀は感心しながら同意し、駆特五号は穴にムシロを詰めて掃海を続けている。
 しばし海を行くと、駆特五号と同じ形をした船影が見えてきた。
「航海長、操船」
 浦賀は浮田に命じ、メガホンを取ってブリッジ右舷側の窓から身を乗り出した。今回の掃海を共にしている駆特三八号がゆっくり近づき、浦賀が指揮する五号に並走する。
「どちらを取りますか」
 冬の潮風に負けず、浦賀はメガホン越しに声を張る。ブリッジ上の見張り台にいた三八号の艇長は、息を吸うように肩を揺らし、両手を口元に当てた。
「今日は機関の調子が悪い。左を取らせてください」
 三八号の艇長は水兵から叩き上げたもと特務少尉で、「ポツダム進級」と呼ばれる敗戦後の一斉進級で中尉となった。つまりは浦賀とは旧階級が同じで、いまの職位も同等だ。ただし齢と経験は一回り以上も違うから、浦賀は敬語を使う。三八号艇長のほうも、兵学校出の士官に上座を譲るように丁寧な言葉遣いを崩さない。
 浦賀たちは、二艇が横に並んで引っ張る三式掃海具を使っている。右は甲艇と呼ばれ、掃海中の進路や艇どうしの間隔をリードする。もちろん左の乙艇も、甲艇の動きにぴたりと合わせて操船する必要があるから、どちらが楽ということはない。
 承知しました、と浦賀は叫び返し、ブリッジを振り返る。
「今日はうちが右を取る。行こう」
「前進原速」
 心得た浮田が遅滞なく命じる。二隻は五号が先導する縦隊を組み、浦賀が海図台を確かめながら進路を指示し、その通りに浮田が操船する。掃海面へ到着すると、先に五号が機関を停止した。後続してきた三八号が、せき込むような煙を噴き上げながら左に接舷する。
「掃海具、用意」
 浦賀がブリッジ真上の見張り台に上がって声を張ると、乗組員たちは一斉に艇尾へ駆けた。磁桿(じかん)と呼ばれる野球のバットほどの大きさをした棒磁石を無数にぶら下げたワイヤー、というとかく重たい三式掃海具の一端を、腕力だけで引きずり出して三八号に渡す。
 三式掃海具は、浦賀が終戦前に掃海任務に従事していたころと同じ装備だ。ただし、慣れ親しんだ感より、恨みがましい気分のほうが先に立つ。同じく戦中の実用化ながら、より新型の五式掃海具は海中に沈めた電線から磁力を発するタイプで、三式より取り回しやすいと聞く。実際の扱いやすさはどうなのだろうな、などと考えているうちに、三八号は掃海具の固定を終えた。浦賀はラッタルを駆け下りてブリッジに戻る。
「艇長操船」
 浦賀は言い、浮田が「お返しします。私は艇尾へ」と応じてくる。
「前進微速、面ォ舵ァジ」
 浦賀の声に航海科員の復唱があり、駆特五号は動き出す。艇尾では、乗組員たちがやはり人力でワイヤーを繰り出している。とかく力仕事を手伝いたがる浮田も、そこにいるはずだ。ワイヤーに手か足が巻き込まれたら、もろとも海中に引きずり込まれてしまうから、力だけでなく気も張らねばならず、楽な作業ではない。
 やがて浮田から「掃海具、投入完了」と艇内電話で報告があった。
「掃海用意」
 浦賀は無表情を保って命じる。きつい投入作業を終えた乗組員は艇のほうぼうに散り、潮風に叩かれながら見張りの配置に着く。もし触雷すれば最も危険な機関室からも、自動運転の設定を終えた機関員が這い出し、やはり見張りに立った。
「信号旗、左回頭」
 浦賀の声に信号員が走り、五号のマストに信号旗が翻る。すぐに三八号のマストに「了解」の旗が揚がる。
「信号旗降ろせ。前進原速。取ォリ舵ァジ」
 微速で左回頭する三八号を軸に見立てて、五号は増速しながら大回りに左へ曲がる。回頭が終了すると三八号を直進させたまま、五号は速度を落としつつ細かく舵を切り、互いの距離を調整する。やがて測距儀を覗いていた通信士が「乙艇との距離五〇メートル」と声を上げ、浦賀は締めくくるように「ようそろ」と告げた。
 二艇からなる掃海隊は、五ノットの微速で山口県東部沖の掃海域にそろりと進入する。
 もし磁気機雷があれば、海底をこする磁桿が発する磁力に反応して起爆する。磁桿と艇は数百メートルほどの距離を取っているが、絶対に安全な掃海作業などない。いら立つほどの微速でじりじりと機雷原を進む任務は、何がなくとも精神的に消耗する。駆特五号のブリッジでは誰もが沈黙を保った。
 時計が示す頃合いに応じて、通信士が三棹(さんかん)分度器を本州や四国の陸地に向けて船位を測定する。一海里つまり一八五二メートルを進んだと確認できれば、二隻の掃海艇は横隊を保ったまま反転し、そのたび海図に幅五〇メートル、長さ一海里の細長い帯が書きこまれてゆく。機関の調子が悪いらしい三八号はときおり速度を乱しつつも、ベテラン艇長の巧みな操船で五号の左五〇メートルという船位を保ち続けた。
 時刻が一二〇〇を過ぎると、隊はいったん掃海域を離れて昼の休憩となる。乗組員たちは気疲れを重いため息で吹き飛ばすと、陽気に騒ぎながら烹炊室に群がった。
 ただし艇長と航海長、操舵員はブリッジに詰めたまま食事を摂る。潮か風の具合で流されて三八号と離れ、ワイヤーが切れたりすれば困るからだ。休憩中もふいの操船に備えねばならない。
 烹炊員がブリッジに持ってきた駆特五号の昼食は、朝と同じく乾パンでかさを稼いで油を混ぜた雑炊だった。乗組員はこの食事だけで午後の掃海、掃海具の揚収、停泊作業までやらねばならない。掃海部隊にとって食事、ことに昼食は、船や機材と並んで作業の根幹である。        〈つづく〉
 

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