18歳で歌謡漫談家としてデビューし、ドラマ、舞台、映画、講演など、多方面で活躍されている泉ピン子さん。ご自身の人生を振り返り「色々と言われてきたけど、私はずっとただがむしゃらに、目の前のことに一生懸命向き合って、正直に生きてきた」と語ります。そこで今回は、泉ピン子さんの著書『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』より一部を抜粋して、波乱万丈な人生をお届けします。
どんな場所でも「住めば都」
今は熱海に住んでるけど、私にとって熱海は最初から憧れの土地だったわけじゃないのよ。橋田ママ(脚本家・橋田壽賀子さん)に言われて考え始めたものの、むしろ最初は、「熱海かぁ……」って感じ。
だってあんた、海風は湿気がすごいし、髪は広がるし、メイクはよれるし。女優にとって湿気は敵よ。なのに、夫のほうはウキウキだったの。内見に行くときなんて、「あの山の形がいいね」だなんて、はしゃいでね。私は都会が好きだったから、喜ぶ夫を後目に階段に腰かけてため息ついてね(笑)。
そもそも私、本当に昔から港区以外が苦手だった。なんとなく土地の空気が合わないのよ。都会のざわつき具合、スピード感、どこからでも近い場所。ああいうところでしか呼吸ができなかったの。だから熱海といわれたときも、どうしても東京の中心部から頭が離れられなかった。
だけど、2011年の東日本大震災のときに思ったのよね。
「あ、もう高層階は無理」って。
当時は27階に住んでいたんだけど、それでも揺れはすごかった。高層階の揺れ方って横揺れじゃないのよ。“ビルがうなる”のを感じるの。
これから先どんどん歳を取って、足腰も弱くなったときに、エレベーターが止まって非常階段を何十階も下りるなんてことになったら、コントにもならない。もう高層階は卒業しよう、と腹をくくったのね。