音楽教室に勤める駒子は、同じ教室でギターを教える長谷川から、母の過去について問われるが……。70年代後半に活動していたバンド「ザ・ラストサウンズ」と、駒子の母との関係は?  新刊『帰れない探偵』で読売文学賞を受賞された、柴崎友香さん、初のWEB連載小説スタート。

夢の外側 15

8 夢の彼女

 音楽教室のガラスのドア越しに、夕刻の商店街を見ると、子供を乗せた自転車がたて続けに通り過ぎた。
「バランスが取れるのすごいなあ」
 掲示物の貼り替えをしていた駒子(こまこ)は独り言のように呟いてしまい、自分の声にはっとした。
「自転車ですか?」
 受付カウンターの中で受講生や保護者からのコメントに返信をしていた八木(やぎ)さんが、顔を上げて言った。
「あ、うん。このごろの自転車って子供を乗せる椅子がすごくしっかりしてて、重そうだよね。前後に乗せられるのなんて、SF映画に出てくる空飛べる乗り物みたいに見えることある」
 あはは、と八木さんは軽やかに笑った。
「乗ってみると案外安定してるらしいですよ。でも、私は普通の自転車でもあんまりうまく乗れないから、ちょっと怖いかも」
「そうなの? 意外」
「実家が坂ばっかりのところだったから自転車乗らなくて、大学入ってから練習したんですよー。だけどいまだに慣れなくて。子育てするんだったら、車移動メインのとこに住むほうがいいのかな、なんて考えたりしてます。車の運転は嫌いじゃないから」
 ほんとは電車通勤より車で通える勤務先がいい、と八木さんが何度か言っていたのを思い出す。駒子は車の免許は持っておらず、自転車の運転は得意なほうだが、前や後ろに子供を乗せた自転車を見るたびに、なんとなく不安になってしまうのだった。
「雨の日なんか、ほんと大変そう」
 新学期に合わせての「お友達紹介キャンペーン」のポスターを貼り終え、駒子は腕をストレッチしながらガラス越しにまた通りを眺めた。学校や勤務先から帰ってきた人たちとスーパーや商店街の店で買い物をする人たちでいちばん賑やかな時間だった。人が多く行き交う時間には、その間を縫って進む自転車はいっそう不安定に見える。
 コメントを返し終えた八木さんは、大きく息をついた。
「産休とか育休とか整ってきたとはいえ、子育ての負担大きすぎですよねー。肉体的にも費用的にも。学生のときまでは、結婚は別にしなくてもいいけど子供はほしい派だったんですけど、一人で子育てとか絶対無理じゃん、って今は思ってて」
 八木さんは家族の話も友人関係の話もするが、つき合っている人がいるかどうかはまったく話さないので駒子も聞かない。職務の立場上ということももちろんあるが、駒子はたいていの人に対して、本人が話題にしないことをこちらから聞くことはない。
「ちょっと前よりも小学校や中学校を受験したりとか、優秀な子供に育てないといけないってプレッシャーも強いからしんどいよね、って子供いる友達はよく言ってる」
「そうなんですよー。産んじゃえばなんとかなる、って言う人も今はいない感じですね。うちの両親も、どっちかっていうとよく考えてからにしたほうがいいよって」
 八木さんは壁の大きな時計を見上げる。つられて駒子もくっきりとした文字盤を確かめる。あと十分ほどで今のレッスン時間が終わるので、もう少しすれば次の時間の受講生たちが来るだろう。
「マンションが値上がりしすぎて一生家買える気しないってみんな話してます。賃貸でも、値上げが来た友達もいるし」
「あー、そうそう。私の友達も築五十年でちょっと前に水漏れで大変だったりしたマンションなのにまさかの値上げを言われて、しかも四万円も! 場所がいいとこだから、追い出して建て替えしようとしてるんじゃないかって……」
 八木さんと世間話をしながら受付カウンターに戻って次のレッスン担当者の確認などをしつつ、駒子の脳裏には子供のころに住んでいた家の光景が浮かんでいた。
 このごろは、何をしていてもふとした拍子に子供のころに見た光景や、母や父の言ったことなどが鮮明に思い出されるようになっていた。花屋の二階に移る前の家の光景が思い出されたのは、家賃の値上げだとか追い出されるとかいった言葉からの連想なのだろう、と駒子は思う。
 花屋から徒歩十分ほどの場所にあったアパートの一階の部屋は、母と父が結婚を機に住み始めた。六畳の和室が二間にダイニングキッチンは広めだった。かなりの築年数で網戸も外れかかっていたし浴室のタイルの冷たい感触が駒子は苦手だった。
 人のいい大家さんだったようで、家賃は相場より安かったし花屋の仕入れや配達に使う車も敷地内に格安で停めさせてくれていた。
 出ることを余儀なくされたのは、バブルとその崩壊にあたる時期だった。駅や商店街の周囲は、地価が上がった時期に買い取られた土地を建て替えを見込んで取り壊したものの駐車場になったり放置されたりしているところも多かった。大家さんはそんな土地転がしみたいな話とは無縁だと言っていたそうだが、その人が亡くなって相続した息子の勤め先が倒産し、土地を売るためにかなり強く退去を迫られた。何度か家を訪ねてきた大柄な中年男性の不機嫌な顔は、今も駒子の記憶にうっすらある。
 そのアパートと同等の賃料の部屋は周囲にはないし、駐車場も借りる必要があったので、祖母が住んでいた花屋の二階に移ることになった。その頃がいちばんお金のやりくりが厳しい時期だったと、駒子がもう少し成長してから母や父が何度も話していた。
 父が、真莉(まり)ちゃんはほんとうにがんばってきたよ、と涙をにじませて言うこともあったし、お母さんはすごく苦労してお兄ちゃんと駒子を育てたんだよ、と駒子に何度も言った。お母さんも、お父さんも、自分たちみたいな苦労やお金がなくてした悔しい思いを、駒子たちにはさせたくないからがんばったんだ、というのは父の口癖だった。
 父のその希望を、私や兄は叶えることができたのだろうか。駒子はわからないままだった。
「今度、父がこの教室を見学に来るかもしれないです。ピアノ習いたいらしくて」
「へえー。八木さんのお母さんはピアノ弾くんだったよね?」
「そうです。いっしょに弾きたいらしいんですけど、母は父に教えるのはいやみたいで。身内だとうまくいかないときにいらいらしちゃうかもって」
「ああ、それはあるかもね。でも、いっしょに弾きたいなんて仲いいんだね」
「弟ももうすぐ実家出るんで、母と良好な関係を構築しときたいらしいです。ほんとに習うとしたら実家の近くの教室ですけど、男一人だと行きにくいって言うんですよね。妙なとこでシャイで」
「それはぜひ、私がいるときに来てください」
「父も、お世話になってる上司さんにご挨拶しなくちゃ、って言ってました」
 上司、という言葉に一瞬戸惑って、それから、自分のことか、と気がついた。あまり自分のことをそんな肩書きではとらえられないが、もしかしたらそれは謙虚なのではなく、自分が負うべき立場や責任に鈍いということなのかもしれない。本部から打診されていた正式にこの教室の所長になる件は、少し前に承諾の返事をして、それは八木さんにも話していた。
「そうだ、無料体験レッスンの担当振り分け、確認しときます」
 八木さんはカウンター後ろのドアからスタッフルームへ入って行った。今日は八木さんは早番で、あと一時間で退勤だった。
 駒子は、本部からの事務連絡の返信に集中しようとしたが、脳裏に浮かんだ昔の家の光景はなかなか消えてくれなかった。
 千景(ちかげ)と互いの家族の話をし始めたころから、家族関係についてのネット上の記事だけでなく本も少しずつ読むようになっていた。十年くらい前から、娘と母親との複雑な関係についての記事などは目にして興味を持ってはいたが、友人たちとそんな話題になっても避けてしまうところがあったのだが、ようやく本を手に取ってじっくり読むことができるようになってきた。
 そこに書かれている事例や解説には、自分が悩まされてきたことと似ていることもなるほどとうなずくことも多くあったが、自分の体験や家族関係に当てはまる事例があまりないとも思っていた。事例として描かれている母親像は、たいていは専業主婦か結婚出産によって希望の仕事をあきらめ、経済的に夫に頼らざるを得ない女性たちだった。それまでの努力を認められることがなかったり誰かの母親としての役割しか評価されず、子供に対して過干渉になってしまったり子供を愚痴の聞き役にしてしまったりする。父親のほうは、仕事ばかりしていて家族には無関心か母親任せで、稼いでいるのは自分だと妻や子供たちに支配的にふるまうタイプ。
 駒子の母と父では、父のほうが安定した収入があったのは確かだが、フラワーアレンジメントの教室が軌道に乗ってからは母のほうが収入が多かった。駒子を愚痴の聞き役にしていたのは、母も父もだが、母が祖母にも兄にも同じように仕事でうまくいかなかったことを思いついたその場でどんどん言うのに対して、父が不満や愚痴を言うのは駒子にだけだった。
 兄は野球やサッカーに熱中して遅くなるか家でも漫画を読んでいて、母もまだ帰宅しない、あるいは早朝からの仕入れに備えて早く寝てしまって夕飯の食卓に駒子と父だけのことがよくあった。そんなときに、勤め先の叔父夫婦が雑用を押しつけてくるとか給料が全然上がらなくて話が違うとか営業の社員が使えないやつだとかいう職場の不満から、今どきの若者は自分勝手で、特に派手な格好の若い女たちは努力もせずに楽ばかりしようとしているというような世間一般によくあるおじさんの愚痴のようなことまでもよく言っていた。ビールや焼酎のお湯割りを飲みながら父の語気はだんだん強くなったが、駒子は、それに答えるでもなく反論するでもなく、つけっぱなしのテレビをぼんやり見ていた。それは駒子が小学生のころから大学を卒業して家を出るまで続いたし、そして就職先がリーマンショックの余波で経営難になって退職を余儀なくされ、仕方なく実家に戻った時期も同じだった。ただ、本や記事の中の母親たちは夫に関する愚痴を娘に言うようだが、父は母に対する不満はまったく口にしたことがなかった。
 もちろん、本や記事の事例は最大公約数的な、もしくはわかりやすくデフォルメされたもので、そこに含まれる要素と自分の体験を照らし合わせて考えるのだということは、駒子もよくわかっている。だけど、今までに友人たちと家族の話になったときと同じように、どこにも当てはまらない寄る辺なさや、自分の抱えている苦しさについて表す言葉がなかなか見つけられないもどかしさが、かえって強まる気もするのだった。
 音楽教室のガラス越しに、腰が曲がってとても小さくなった老婦人が立ち止まるのが見えた。その背に手を添え、もう片方の手で老婦人の手を引いているナイロンジャケットにバケットハットの男性の姿が、教室からの灯りに照らされてくっきり浮かび上がっている。
 スタッフルームから出てきた八木さんも、その姿に目を留めた。
「ああやって、おばあさんの手を引きながらゆっくり歩いてるのって、だんなさんかなと思ったら、たいてい息子さんですよね。私は両親と仲いいほうだと思うんですけど、三つ下の弟のほうがやさしいんですよねー、親に対して。車で買い物とかしょっちゅう連れて行ってあげてて」
「あと十年か二十年したら、あんな感じで連れ立って歩く夫婦も増えそうだけどね」
 真莉ちゃんが介護が必要になってもぼくがなんでもするから心配しなくていいよ、といつだったか父が言っていた。こないだ公園で妻の車椅子を押してゆっくり歩いてるおじいさんを見かけて、ああいう姿っていいなあと思ってさ。そんなことを言っていたのに父のほうがだいぶ早く死んでしまった。
兄は東京に戻ることはないだろうし、ましてや母の生活の手伝いくらいのこともする気はなさそうだ。この先母が、介護とまではいかなくても病気をしたり生活に不便が出てきたりしたら、対応するのはやはり自分しかいないだろう。今は元気で、離れた場所でそれなりに充実した生活をしていることは、恵まれていると考えるべきなのかもしれない……。
 音楽教室の前で立ち止まっていた老婦人はゆっくりと歩き出した。手を引く男性の顔が一瞬見えた。穏やかな表情だった。
「うちの教室にレッスンに来る六十代、七十代の方も、みなさん若いですもんね。新しい音楽も積極的に聴いてらっしゃるし」
 ドアが開いて、もうすぐレッスンが終わる子供を迎えに父親が入ってきた。
「今日もありがとうございまーす」
 夕食の買い物をしてきた袋を提げた父親は、どことなく楽しげだった。


 小松原大哉(だいや)からのもう一度取材したいという話は、大哉が仕事と子供の小学校入学準備で忙しくなって延び延びになっていたが、四月の連休前にようやく会うことになった。千景も行きたいと言っていたのだが、職場で人事異動に伴って新たに入ってきたスタッフの指導を任されていて都合がつけられなかった。私も大哉さんと話したかったのにー、とどこまでほんとうかわからない調子で言って千景は悔しがっていた。
 今度の店は大哉の指定で、四谷のイタリアンだった。千景が予想した「今どきの、ラフに見せかけて気取った店」ではなく、大通りから一本入った静かな場所で長年続いている店らしく、イタリアの田舎の家をイメージした内装の知り合いの家のような落ち着いた雰囲気だった。プロデューサーの上司が昔から通ってる店なのだと、今回も先に席に着いていた大哉は言った。
「こんばんは。お忙しいところ、ありがとうございます」
 と大哉の隣で挨拶をしたのは、大哉が今関わっているドラマのいちばん若いディレクターの女性で、谷元はるかと書かれた名刺を差し出した。まだメインのディレクターの補佐的な立場だが、大哉の話から興味を持ってぜひ同席したいとのことで、駒子も了解していた。
 この店のおすすめと定番の料理をいくつか注文し、駒子と谷元さんにはワインが注がれ、少し近況報告のような世間話をしてから、大哉が話した。
「ドラマの企画はだいぶ進んでて、再来月に撮影に入る予定。漫画原作なので、原田の話が基になっているとかではないんだけど、主人公とその家族のキャラクターの造形にあたってだいぶ参考にさせてもらって助かってます」
「原作のキャラクターとは違うってこと?」
 前菜盛り合わせのエスカベッシュをつまみつつ、駒子は聞いた。
「違うというより、元の漫画では家族のことは断片的に出てくるだけなので、そこを膨らませて主人公が自分自身の新しい家族を作っていく過程に説得力を持たせようと、脚本家とも話し合っているところなんだ」
「主人公の両親と原田さんのご両親が同世代くらいの設定なんですよね。その時代に働いて自立してらっしゃった女性のリアルなお話をうかがうのはすごく貴重だと思って、今回小松原さんにお願いして同席させていただきました。初対面なのにずうずうしく来ちゃって、すみません」
 明瞭な声で谷元さんは言った。八木さんと同じくらいの年だろうか。自分の行動に自信を持っている物怖じのなさが伝わってきて、少し苦手かもしれない、と駒子は反射的に感じてしまった。
「いえ。小松原くんと二人より、誰かいた方が気楽に話せるかなって前回は私の友人に来てもらったので」
「あっ、わかります! 私も取材させてもらうとき、質問攻めみたいにならないようにどなたかといっしょに来てもらうことがあって……」
 適当な相槌を打ちながら、駒子はさっき谷元さんが言った「自立」という言葉について考えていた。母は自立していたのだろうか。経済的には自立できるだけの仕事をしていたのは確かだ。そして母に対しては仕事をしていたから「自立」と言う人は今までにもいたけれど、父が自立していたかという話をする人はいなかったな、と。

                                    (つづく) 

 

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