22歳で歌手デビューを果たしてから、持ち味の中低音を活かした楽曲で親しまれている山川豊さんは、2023年に肺がんを公表。現在も活動を続けられるのは、実兄である歌手の鳥羽一郎さんをはじめ、家族や周りの人の存在が大きかったと語ります。(構成:丸山あかね 撮影:宮崎貢司)
五木ひろしさんに憧れて歌手になった
僕は三重県鳥羽市の石鏡(いじか)町という、陸の孤島のような港町で生まれ育ちました。父は漁師で母は海女。兄・姉・僕・妹の4人きょうだいですが、石鏡町は古くから海女漁が盛んなので、長男は尊重され、女の子は海女の後継ぎとして歓迎されるという風潮で、次男坊である僕は影が薄かったと思います。
父がギャンブル好きなうえに野心家で、人口1000人の小さな町に映画館を作って失敗した挙句、家を失い納屋で暮らしていたことも。母は畑にも出て家族のために働きどおし。そうして稼いだお金を父がギャンブルに使ってしまう。今振り返っても本当に大変でしたね。
その父も今年の1月に100歳で天寿を全うしました。つらかった記憶があっても、やっぱり親がいなくなるのは寂しいものです。
でも当時は、親父のせいで、と思っていたんですよ。小学生の頃は給食費が払えなくて、母が頭を下げて知り合いに借りて回ることもあった。中学校はお弁当でしたが、友達の弁当には、赤いウインナーや卵焼きが入っているのに、僕の弁当にそんなおかずはない。
冷蔵庫を開けても何もないから、とりあえず鰺のひらきを焼いて白米の上にのっける。友達に見られたら恥ずかしいから、一人で山まで行って食べていました。「大人になったら、絶対に卵焼きと赤いウインナーをたらふく食べるぞ」と思いながら。(笑)