大戦末期、戦艦大和とともに沖縄水上特攻を命じられた駆逐艦響は周防灘で触雷、落後する。乗組員の浦賀少尉は、日本の内海すら米軍の機雷で埋め尽くされた現実に愕然とする。
 戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!


   七

 呉の街も、終戦から五年を経てずいぶんと変わった。
 まだ食糧不足が収束しないから、闇市もそこここで賑やかに人を集めている。ただし真っ当な商店も少しずつ増えていて、今年に入ると進駐軍から返還された用地に中央卸売市場の建設も始まった。旧海軍工廠の技術と設備を生かした工業試験場も操業を開始した。
 いつのまにか浦賀の行きつけになっていた「はるらさん」もバラックから移転した。新しい店は狭いながらもきちんと建てられた職住兼用の日本家屋で、カウンターを横切った奥には小上がりも設(しつら)えてある。
 出される品もマッコリの一本槍ではなくなった。といっても自家消費のおすそ分けらしい濃密な香りの朝鮮漬と、これも半島の料理だという胡麻油であえた青菜や山菜だけであるが、口寂しさはずいぶん緩和された。
 従業員も増えた。ずっと字潤雅(ウ・ユナ)の女手一つで切り盛りされていたが、二年ほど前に日本へ来たという宇の甥が、さいきんは叔母と並んで、もしくはひとりで店に立つようになった。
「よう来はりますね、浦賀さん」
 宇の甥、梁泳葉(リャン・ヨンヨプ)は浦賀を見るたび、必ずそう言う。「頻繁にいらっしゃいますね」という意味だと浦賀は知っているが、知らなければ「よくも来やがったな、この野郎」くらいに聞こえるかもしれない。切り口上と関西の言葉は相性がよくない、とは泳葉に会ってから知った。
 店主である宇の薫陶を受けたものか、あるいはもともとの性格か、もしくは宇の一族はみんなこうなのか、泳葉も客商売に要りそうな愛想が欠落している。また泳葉はいつも、目標を探す探照灯にも似た剣呑な目つきで周囲を睨みまわしている。何か若さゆえの鬱屈があるとしても、ちょっと度を超えている。
「月に一度くらいのつもりだったが」
 浦賀は苦笑しながらカウンター前の椅子に腰を下ろす。
「まあ、最近は陸上勤務になったからね」
 数か月前、浦賀は呉掃海隊の掃海艇長から隊指揮官付に異動となった。業務は掃海計画の立案で、やってやれないことはない。ただ、自分は潮や風になぶられながら木の葉ほども揺れる掃海艇に乗っていたほうが性に合うと、ほとほと思い知った。揺るがぬ事務室の床に据えた机はかえって居心地が悪く、指揮官に同行する必要がなければ海に出ることもない。昼のうちは書類仕事に打ちのめされているから、はるらさんで一杯ひっかけていく日は確かに増えた。
「宇さんは」
 何の気なしに尋ねる。泳葉はマッコリが入った湯飲みを置いてから、表情のない顔で答えた。
「奥で食べ物の仕込みやってますわ。ほかにお客もおらへんし、しばらくは出てけえへんのちゃいますか」
「うん、そうか、そうか」
 浦賀は意味のない返事をしてからマッコリを口に含んだ。店主も従業員も恐ろしく無愛想なこの店にいると、なぜだか気楽になれる。
「浦賀さん、海軍の軍人さんやったんですよね」
 無愛想な顔のまま、めずらしく泳葉から話を切り出してきた。はるらさんなりに親しみやすい接客を心掛けるようになったのかもしれない。
「そうだよ。おかげで海軍嫌いの宇さんには好かれていない」
「軍艦に乗ってたんですか」
「俺はそうだね。けど、兵学校の同期は航空隊に行ったやつも多い」
 同期のひとり、浮田幹は名古屋の戦闘機隊に配属された。戦後は掃海に転じ、浦賀が艇長だった駆特五号では航海長を勤め、いまは別の掃海艇で艇長をやっている。
「俺が任官したころはフネもずいぶん少なくなっていてね。海軍の実質は空軍だったという人もいる」
「その少ない軍艦に乗ってた浦賀さんは、何やってたんですか」
 泳葉の口ぶりに慣れている浦賀は、「どのような任務に従事していらしたのですか」と訊かれたと分かる。慣れていなければ、無力か怠惰を詰問されたと取るかもしれない。
「この呉から艦隊特攻に出撃したけど、乗っていた駆逐艦が機雷にやられて帰投するしかなかった。その後は新潟で掃海をやっていた」
 特攻帰りめいた経歴であることを、浦賀は普段から公言している。
 隠せないほど症状の重い病を得た、出撃したが乗機の故障や天候の悪化で引き返すしかなかった、おじけづいたがうまくごまかした、などなど、様々な理由で特攻任務から生還した者は少なくない。彼らのたいていは特攻できなかった自責、生死の境を何度も行き来した末の虚脱、あるいは「臆病者」という周囲からの罵倒に悩み、うまく戦後社会になじめていない。何とかなじめている人間がいれば、手本にはなれなくても多少の慰めにはなれるかもしれない、と浦賀なりに考えていた。
 ただし考えるたび、別の疑問も湧く。浦賀の乗艦が落伍したあと、艦隊は目的地の沖縄を見ることなく途上で壊滅した。同時に陸海軍あわせて二〇〇〇機近くの特攻機が沖縄方面へ出撃した。それほど苛烈な戦場に、新米少尉に過ぎなかった浦賀ひとりが加わって、何を守れたのかは分からない。当の沖縄では民間人の四人に一人が死んだと聞くから、何を守るための戦いだったのかすらも分からない。
「ぼく、戦闘機乗りになりたかったんです」
 泳葉の言葉に、浦賀は黙ってうなずく。切り出された身の上話の途中で口をさし挟むほど野暮(やぼ)ではないつもりだ。
「住んでた大阪が空襲にやられて、B―29の一機くらいは叩(はた)き落としたりたいと思ったんです。けど志願できる齢になる前に、疎開みたいに家族と済州島に帰って、そのうちに戦争も終わりました。そしたら済州島もえらいことになって」
「うん」
 浦賀は短い相槌だけを打った。
 北の朝鮮民主主義人民共和国、南の大韓民国。二つの国が生まれて二年ほどが経つ。済州島では独立の直前に始まったゲリラ部隊と大韓民国軍の戦闘が、いまも続いていると聞く。
「で、その」
 続けて言いたい何かがあり、ふさわしい言葉を探している。そんな調子で泳葉が口ごもっていると、店の奥からバタバタと足音がした。
「島の話はやめなさい。違う国の人に打ち明けて、どうなるものでもない」
 飛び出してくるなり、宇が強い口調で甥をたしなめた。下腕の中ほどまでを唐辛子の真っ赤な色に染めたままで、対して顔は青みが差している。感情を忘れたような仏頂面で黙々とマッコリを注ぐ宇しか知らなかったから、浦賀は少しびっくりした。
「大変な事情があることは分かったから、それ以上はいい。俺みたいな酒飲みに話してもしょうがないよ」
 浦賀は言い、「けど」と添えた。
「もと軍人に訊きたいことがあるなら、俺なりに答えよう。きみは何か悩んでいるようだから」
 宇が青い顔を泳葉に向ける。その表情は怒っているようにも、甥を守ろうとしているようにも見えた。泳葉は数度、口を開け閉めしてから言葉を紡いだ。
「ぼく、二回逃げたんです。B―29からと、島のめちゃくちゃなありさまから。軍人さんは逃げるんですか」
「逃げるよ」
 浦賀は即答した。
「勝ち目がないときの撤退や後退は、軍隊では通常の行動だ。おかしくも恥ずかしくもない」
 浦賀が軍人であったのはわずか二年足らず。軍隊や戦争を語れるほどの経験はない。当時を思い返せば撤退には卑怯めいた印象を持っていたし、「戦いたい」という衝動だけは旺盛だった。そのころの浦賀と、逃亡を恥じているらしい今の梁泳葉は、たぶん近い感情を抱いている。
「俺など大した人間でないが、いちおうきみより齢は上だ。だから言うのだが、個人にどうしようもない問題は悩んでも仕方がないよ」
 艦隊特攻から落伍したとき、浦賀は喪失感にとらわれていた。いつのまにか忘れられたが、どうやって立ち直ったか理屈では説明しがたい。目の前の任務をこなしているうちに奇縁のごとく何度も機雷に関わり、帰国できない抑留者を見た。生きていれば、立ち直る手掛かりはどこかからやってくる。それが浦賀なりの人生経験だった。
「そんなもんですかね」
 泳葉は不機嫌そうに目を落とした。宇が会話の終了を告げるように「晩ごはん、食べてきなさい」と命じると、「はい」と素直に答えて奥へ行った。
 水の流れる音が続いた。代わって店に立つらしい宇が流しで腕を洗っている。浦賀は黙然と碗を持ち上げた。
 俺とて何を知っているわけでもない。浦賀は内心で苦笑しながら、マッコリを喉に流し込む。              〈つづく〉
 

【関連記事】
川越宗一 小説連載「白く爆ぜる海」 第28回
川越宗一 小説連載「白く爆ぜる海」 第27回
川越宗一 小説連載「白く爆ぜる海」 第26回