(画:一ノ関圭)
詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の連載「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。伊藤さんが熊本で犬3匹(クレイマー、チトー、ニコ)、猫3匹(メイ、テイラー、エリック)と暮らす日常を綴ります。今回は「女の声」です(画:一ノ関圭)

浅い夜、宵の口、あたしはラジオをつけっぱなしにする。その時間帯によく車を運転するのと(クレイマーの散歩に行く)、暗くなって寂しくなってくるのと、まあいろんな理由があるのだが。

その時間帯、NHKラジオのFMではあたしの好きな番組をやっている。『ベストオブクラシック』。片山杜秀の『クラシックの迷宮』。AMで『高橋源一郎の飛ぶ教室』(自分の出ている回はぜったい聞かない)。

それから『FMシネマサウンズ』という番組もあった。いや過去形じゃなく、まだやっている。最初は驚いた。そのパーソナリティが女で、若くなさそうな低い声で、自信たっぷりの話し方をするからだった。自己主張のある低い女の声をラジオで聞いたことがなかった。でもすぐに慣れた。慣れたら、もう何十年も聞いてるような気がした。

番組では、映画をいくつか取り上げて、その中の音楽について紹介していくのだが、その女の声が、自分はこんな状況で見た。見たときには何歳だった。そんな話をしながら紹介していくのだった。

あるとき、何を紹介していたかは忘れたが、その声が「ワタクシは」と言った。この人は、ワタシじゃなくてワタクシと言うんだなとあたしが思ったとき、彼女は間をちょっとあけて、「好きですねぇ」とため息をつくような声で言い放ったのだった。

そんな女の声を聞いたことがなかった。少なくとも日本のテレビやラジオでは。

その時間、その声は全国に響きわたり、その時間、その女の声が、人々に影響を与えることのできる力を持ったのだった。調べてみたら洞口依子という人だ。

と、すごい感動を受けたのだが、あたしには日々の暮らしがある。雑事にかまけて聞けないときもある。何週間も聞かずにいて、こないだ久しぶりに聞いてみたら、声が変わっていた。女の声ではあるが、もっと高い声の、もっと自己主張少なめの声だった。番組制作班の人々が、女は若いほうがいい、主張は少ないほうがいい、肴はあぶったイカでいいと思って替えたんだろうかと推した。