(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
現在放送中の連続テレビ小説『ブラッサム』。石橋静河さん演じる主人公・葉野珠のモデルは、激動の時代を駆け抜け、自由を求め続けた作家・宇野千代さんです。作家のみならず、編集者やデザイナーとしても活躍した宇野さんは、どのような人物なのでしょうか。日本近代史を専門とする日本大学商学部教授・刑部芳則さんの著書『宇野千代: 昭和モダニズムの伝道者』より一部を抜粋し、宇野さんの素顔に迫ります。

『スタイル』の創刊

宇野千代は昭和11年(1936)6月に『スタイル』を創刊した。千代は、その理由について「或る人と話している間に、女だけが読むお洒落雑誌のようなものをやったら面白い」という話が出たことによると書き残している(宇野千代『私の文学的回想記』)。

雑誌名は、ライオンが販売していた目薬の「スマイル」を模倣して名づけたという(文学研究者の尾形明子は、新造形主義を理念としてオランダで出版された雑誌『デ・ステイル』の英語読みだと指摘する)。最初のスタイル社の事務所は、四谷大番町一〇四番地の借家の2階に置いた。創刊号の表紙には洋画家の藤田嗣治を起用し、黒塗りのアート紙に、藤田の妻でモデルを務めたマドレーヌ夫人の横顔を金線で描いている。

『スタイル』1936年6月号(写真:『宇野千代: 昭和モダニズムの伝道者』より)

ところで、千代の関連本には、『スタイル』を日本最初のファッション雑誌およびモード雑誌などと記したものが散見され、その影響でネット上でもそれらを引用するものが少なくない。しかし、これは誤りである。『スタイル』よりも前に、文化服装学院は昭和9年3月にスタイルブック『服装文化』、同11年4月に服飾研究雑誌『装苑』を創刊しており、ドレスメーカー女学院は同9年4月に同院会誌『D・M・J会誌』を創刊している(詳しく知りたい方は、拙著『洋装の日本史』を参照されたい)。これらの雑誌の目的は外国の流行服を紹介し、洋服の普及を図ることである。

これらの読者は両校に通学する生徒が中心とはいえ、ファッションやモードの雑誌であったことに違いはない。『スタイル』はそれらよりも遅れての刊行である。『D・M・J会誌』や『服装文化』が洋装に情報を限定していたのに対して、『スタイル』は洋服だけでなく、和服に関する記事もあり、髪型や持ち物についての記事も見られる。さらに、人気作家の寄稿や、映画俳優や流行歌手の記事も掲載されている。

こうした観点からすると、『スタイル』は単なるファッションやモードの雑誌ではなく、娯楽性を加味した総合雑誌と位置づけられる。