「なかったこと」にされている存在に光を当てる
東京でオリンピックが開催されるはずだったこの夏だが、人々の心はより切実な心配事に奪われてしまった。しかし忘れてはいけないことがある。女性建築家ザハ・ハディドの未来的で巨大な新国立競技場案は、正式にコンペで採択されたものだ。あとになって、デザインがおおげさだ、建設コストが膨大だと批判され、ザハ案は一転、白紙撤回された。
わたしはザハ案には少しも賛成ではないが、招致の際には夢と希望を象徴し開催を勝ち取ったデザインなのに、突然お払い箱にされたザハの心中はいかばかりかと思う。おまけに、それから1年も経たないうちに彼女は亡くなった。古来日本では、ザハのように立派な実力をもちながら裏切りにあって死んだ人は祟り神となる。そして人々はおりにふれその魂を慰めるものである。
この本を見つけたとき、日本の伝統芸能である「能」で、外国人のザハを描くというアイディアに目を奪われた。能は、死者と生者との交信を描く演劇である。日本人のつごうで振り回したザハの魂に捧げるのにふさわしい鎮魂ではないか。能なんて見たことがないし、古い言葉が難しくてわからない、としりごみする必要はない。セリフはすべて現代の日常会話だ。「挫波」では、建築中の新競技場のまわりで、観光客や近所の人の声が死者の魂を召喚し、実現しなかった夢としてのザハ作品が立ち上がる。ほかに、核燃料サイクル政策の中心にあったが、ほぼ稼働しないまま滅んでいく高速増殖炉もんじゅを描く「敦賀」や、世の中に居場所のない青年が、もっとも縁遠い場所である地下鉄六本木駅のホームに降り立つ「六本木」など、「なかったこと」にされているさまざまな存在に光をあてる鎮魂戯曲集である。
『未練の幽霊と怪物挫波/敦賀』
著◎岡田利規
白水社 2400円
著◎岡田利規
白水社 2400円