大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公となった明智光秀。本能寺の変で主君信長を討ったことは周知の事実だが、そこに至るまでの業績はほとんど知られていない。光秀とはいったい、どのような武将だったのか。『明智光秀』(中公新書)を著 した大山崎町歴史資料館館長・福島克彦さんに、謎につつまれた光秀の生涯について聞いた。
確実な史料が現れるのは50歳前後から
――福島さんのご専門は。
福島 中世都市史、城郭史を専門にしています。
――そもそも明智光秀に関心を持ったきっかけは。
福島 丹波地域(京都府中部および兵庫県中東部)の城を調べていく際、明智光秀の丹波攻略に関する一次史料を収集し始めたことからです。その後、明智光秀研究会の方々と目録を作成させていただきました。
――明智光秀が大河ドラマの主人公に決まったのは2018年4月でした。どう思われましたか。
福島 一般に大河ドラマの主人公は少年期、青年期から描いていきます。史料が全くない前半生をどう描くのだろうかと思いました。彼の確実な史料が現れるのは50歳前後からです。
――なるほど。光秀の生年ははっきりしておらず、没年は数え年で67歳ともいわれています(55歳説など諸説あり)。逆算すると歴史の表舞台に登場したのは50代で、当時としてはすでに老年期にさしかかっていた?
福島 そうなります。それを逆手にとって、たまには50歳から始まる斬新なストーリーがあってもいいと思うのですが……。