人気俳優の広瀬すずさんが初のキャビンアテンダント(CA)役を務める、3月20日放送のドラマ『エアガール』(テレビ朝日系列 夜9時〜)。日本人が日本の空を飛ぶことは許されていなかった時代。太平洋戦争後初のCAたちの奮闘を描いたドラマだ。原案は、日本航空(JAL)の一期生たちを追った中丸美繪さんのノンフィクション『日本航空一期生』(中公文庫)。「空のお仕事=“エアガール”」を目指した女性たちとはーー
※本記事は、『日本航空一期生』の一部を再構成しています
※本記事は、『日本航空一期生』の一部を再構成しています
神話の1ケタ、化石の2ケタ、美貌の100期…
スチュワーデス一期生の小野悠子(旧姓竹田)にあったのは、港区白金台にあるホテルである。
「わたしが日本航空につとめたのはもう大昔の話で、現在の日本航空とは会社の形態も社員の数もぜんぜん違う時代だったのです」
悠子はわたしが取材したときには80歳を越えていた。
足こそは数年前に転倒したためにスムーズとはいかなくなったが、年齢より10歳以上若くみえ、日本航空に入社した20代にはそうとうの美貌だったことが、その顔立ちからわかった。
わたしが日本航空に入社したときには、「容姿端麗」の条件はなくなっていたからこそ応募もできたのだが、かつてはそんな空恐ろしい条件があった。
それは社内のダイナミズムになんとなく反映されていて、歴代のスチュワーデスは「神話の1ケタ、化石の2ケタ、美貌の100期、知性の200期、体力の300期」といわれている。
ジャンボジェット機の登場により大量輸送時代となり、それに対応するためにスチュワーデスの入社試験に初めて体力測定がとりいれられた300期以降、客室乗務員は大幅に増えた。400期以降となると諸説入り乱れ、実際には選りすぐりを集めたとの説もあるが、先輩たちからは「向こう横丁の400期」「どうでもいい500期」などと揶揄されたものである。さらに600期代のスチュワーデスについてとなると、もうそんな冠もつかなくなったのか、どうだったのか。
民営化後は、契約社員制度もとりいれられ、「契約何期」という呼称も使われるようになった。
さて、調べてみるとスチュワーデス一期生の募集にあたっては、以下の文面で小さな求人広告が新聞掲載された。