(撮影=本社写真部)
死生学の分野で精力的に活動してきた小谷みどりさんは、その傍ら、配偶者を亡くした人たちと「没イチの会」を結成します。「遺された者は死者の分も2倍楽しんでいい」と交流する様子は、本誌でもたびたびご紹介してきました。2年前、退職を機に、長年続けてきた東南アジアの貧困支援を本格化した小谷さん。パンづくりも、その取り組みのひとつでした。(構成=山田真理 撮影=本社写真部)

人はいつ死ぬかわからない

私の夫は、42歳で亡くなりました。2011年のことです。シンガポール出張に行く、と言っていたのに、いつになっても起きてこない。寝室へ行くと、すでに息をしていませんでした。死因は不明だったものの、私は東日本大震災に起因する過労死と考えています。

それまで講演のたび、「元気なうちに、希望する治療や弔い方を家族と話し合っておきましょう」などと話していた私が、まさか夫を突然死で失うなんて。「人はいつ死ぬかわからない」という事実を突きつけられましたし、「いつかしたい、なんて言ってる場合じゃない!」と思わずにはいられませんでした。

会社に属していた私には、研究のほか、会社が引き受けた講演などの仕事が次々入ります。有給休暇も代休もとれず、上司に「引き受ける内容を選んでほしい」と訴えたら、「すべて仕事です」と一蹴されて。そのとき、なにかがプツッと切れました。夫の二の舞にはなりたくないし、もうすぐ50歳、という節目もちょうどいい。あとは「やりたいこと」をやって、人生を全うしよう。そう決意して、会社を退職しました。

もちろん、生きていくためのお金の計算はしました(笑)。ただ、私には住宅ローンもありませんし、研究、執筆、講演などの仕事をきっちり続けていけば、「やりたいこと」ができそうだった。そうしてはじめたのが、カンボジアで開いた「オーサカ・ベーカリー」というパン工房です。