関東大震災を経験した篠田桃紅さん(写真:『これでおしまい』<講談社>より)
9月1日は防災の日。この日が防災の日なのは、1923年9月1日に発生し、東京や神奈川に大きな被害をもたらした関東大震災に由来しています。10万人を超える死者・行方不明者が出たとされますが、今年3月に108年の生涯を閉じた書家で美術家の篠田桃紅氏は震災を経験していました。今回生い立ちと共に、震災当日の様子、そしてその日から何が起きたのかを著書『これでおしまい』(講談社)より紹介します。

旧満州・大連で生を受け

生家は旧満州・大連にある赤レンガ造りの3階建て。英国の建築家ジョサイア・コンドルが設計した、元ロシア帝国の家で篠田桃紅は生まれました。日本が日露戦争(明治37〜38年)に勝利し、南満州鉄道を含む旧満州における権益を得てしばらくしてからのことです。

父・頼治郎(らいじろう)が東洋葉煙草会社の後身である東亜煙草株式会社支社長として赴任し、3男4女のきょうだいの第5子として、異国の地で生まれました。満州に生まれたことから、満洲子(ますこ)と命名されます。生まれた土地に由来する名前を持つのはきょうだい3人目で、6歳上の次兄は東京に生まれた最初の子だったことから武蔵(むさし)、3歳上の次姉は大連の前の赴任地、朝鮮総督府が置かれた朝鮮に生まれたことから朝子(あさこ)と名付けられます。

大正2年(1913)年3月28日に篠田桃紅は生まれ、一年半ほど大連に暮らします。まだ乳児だったそのときの思い出は母・丈(じょう)から聞き継いだものです。

「母はとても懐かしいらしくて、東京に帰ってからもよく大連の話をしてくれました。1階はオフィス、3階には社員のための図書室やビリヤードなどのレクリエーション施設があった。2階が支社長宅で、そこで私は生まれたの」