今注目の書籍を評者が紹介。今回取り上げるのは『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書 自閉症者と小説を読む』(ラルフ・ジェームズ・サヴァリーズ著/岩坂彰訳/みすず書房)。評者は編集者で文芸評論家の仲俣暁生さんです。

自閉症者たちと小説作品を読んだセッションの記録

文学は「多様性」に向けて開かれているべきという考え方は、ジェンダーやエスニシティ(民族性)の面では一定の成果をみせるようになった。だがそれで十分か。本書はアメリカの文学研究者が神経科学の知見を踏まえつつ、自閉症者たちと小説作品を読んだ六回のセッションの記録である。その意図は、文学研究に「ニューロダイバーシティ(神経多様性)」の視点を加えることだ。

セッションの相手は、幼少時に虐待を受けた少年DJ(著者の養子)のような身近な人物から、動物学者として成功した著名人までさまざまだ。選ばれたテキストも『白鯨』『ハックルベリー・フィンの冒険』といった米国文学の古典から、SF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』まで幅広い。

明らかになるのは、他者への共感性に乏しく、読み書きそのものも困難と思われてきた自閉症者が、ニューロティピカル(神経学的な定型発達者)とは異なる「読み」を行っているという事実だ。たとえば先の三作で彼らが感情移入したのは登場人物のいずれでもなく、鯨、川、アンドロイドだった。

自閉症であるうえに聾者でマルチレイシャル(複数の人種の血を引く人)でもある「交差的」な自己同一性をもつ女性が、マッカラーズの『心は孤独な狩人』を読むセッションも印象的だ。不愉快でグロテスクな人物も描かれるこの作品の世界に彼女は〈飛び込んで〉、自分がその登場人物となった感覚を得た上で、こう述べる。

〈この小説には環境にうまく適応した黒人がひとりも出てこない〉。

じつに見事な批評ではないか。

神経科学についての学術的記述が多く、必ずしも読みやすい本ではないが、六人六様のセッションのディテールと、文学研究者としての広範な知識が難点を補って余りある。文学研究に新しい視座を与える画期的な著作である。