(構成◎丸山あかね 写真提供◎サイエンス・オブ・エンライトメント)
人生は思いと行為の連続であり苦しみでもある
ヒマラヤで修行を積み重ねて「シッダーマスター」(悟りのマスター)となり、今、「ヨグマタ」(ヨガの母)と呼ばれている私は、不思議な力に導かれ、特殊な人生を歩んでいます。なぜ私は選ばれたのか? いつから導かれていたのか? 今、私の過去を振り返ってみますと、すべてはレールが敷かれていたように思われます。それこそ過去生からの縁ということなのでしょう。
日本でもマインドフルネスといった瞑想が注目を浴びていますが、瞑想をする意味は、心を落ち着かせる、自律神経を整えるといったことに止まりません。瞑想は、ヨガの修行法のひとつです。ヨガには8つの段階があり、体を整えるためのヨガは下から3つ目の「アーサナ」。深い瞑想である「ディヤーナ」は、上から2つ目にあたります。そして最後の段階は「サマディ」です。
私は長い修行の旅を経て、ヨガの最高峰の「サマディ」という究極の悟りを成就しました。それは深い瞑想で心身を浄化し、死を超えて神と一体になって、本当の自分が誰であるのかの真理を悟ったのです。さらに7年間ヒマラヤ秘境の洞窟で、何度もサマディに入り、深めてきました。その後公開で究極のサマディを、人々を祝福するために16年間で18回行ってきました。
心は過去生からのさまざまな行為の結果を記憶しています。良い記憶は人に勇気を与え、時に人を傲慢にし、悪い記憶は人を苦しめます。それらの記憶を見つめ浄化して気づくのが瞑想です。人生は思いと行為の連続であり苦しみでもあります。それを超えると本質があります。本質とは自由で愛と平和と叡智に満ちたすべてを創造する力の存在です。瞑想と愛行をして本質に向かいます。それが真の幸せであるからです。真の力を得られるのです。でも自力ではなかなかできません。
今回は、あえて私の過去を遡って語ります。幼少期、少女期、思春期、結婚や離婚の頃、ヨガに目覚めたところからヒマラヤの奥地へと導かれる経緯、そこから始まる新しい次元の人生について、これほどまで克明に明かすのは初めてです。