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兵庫県神戸市在住の関本雅子さん(71歳)は、緩和ケア・終末期医療で著名な医師である。長男の剛さん(44歳)も緩和ケア医の道を選んだことで雅子さんは勤務医生活に終止符を打ち、2001年、灘区にクリニックを開いた。軌道に乗り、院長職を剛さんに任せて「後方支援」に回った直後の19年夏。剛さんにステージ4のがんが見つかり「余命2年」と宣告されたのだ。(取材・文・撮影:粟野仁雄)
息子からの電話で頭が真っ白に
関本雅子さんは、知らせを聞いた日のことを振り返る。
「あの日(2019年10月3日)は剛が卒業した中高(六甲学院)の『母の会』の集まりがありました。息子の学校は保護者の繋がりが強く、年に1回、卒業生の母親が集まるのです。ミッション系の学校で卒業生の保護者も教育したいという神父さんの意向もあるようですけど、おいしいものを食べながら息子や孫の自慢をし合ったり、馬鹿話や情報交換をしたりと楽しい会でした」
車で帰宅中にスマホが鳴った。車を停めて受けると長男の剛さんからだった。
「僕、肺がんやったわ。手術できないかもしれない」と告げられたのだ。
「えっ、どうして……」。まさかの報告に涙声になり、雅子さんは茫然自失となった。
雅子さんは神戸大学医学部出身の医師。もとは麻酔科医だが、近年は緩和ケアやホスピス医療の第一人者として知られ、『あした死んでも「後悔」しないために、今やっておきたいこと』などの著作もある。01年、神戸市灘区の阪急神戸線六甲駅近くに「関本クリニック」を開設して院長を務めてきたが、長男の剛さんに院長職をバトンタッチし、理事長となったばかりだ。
「少しはゆっくりできるようになったと思った矢先の衝撃でした」
とはいえ、多くの末期がん患者と接してきたためか、一般の母親とは受け止め方が異なった。
「大きなショックを受けたとはいえ、実はまったく予想していなかったわけではないのです。医師として日々患者さんに向き合ってきて、心のどこかに、自分の子どもが不治の病にならないだろうかという不安があったのも事実。シングルマザーとして3人の子どもを育てている娘に何かあったら孫たちはどうなるのか、クリニックを引き継いでくれた息子にもしものことがあったら孫たちは……とか、普段から考えないではなかったのです」
と振り返る。