「自分のすべきことは自分で決める、正しいと思ったことは貫く。そうした強さが娘たちに受け継がれているなら、それは親として嬉しいです。」(撮影=宮崎貢司)
15歳でプロに転向し、これまでテニスの四大大会を四度制した大坂なおみ選手は、2019年の全豪オープン後、男女を通じてアジア初のシングルス世界ランキング1位となった。その強さの背景には、娘をプロテニスプレイヤーにすることに懸けた両親の熱意がある。苦しい日々を母・環さんが乗り越えられたのには、理由があった(構成=山田真理 撮影=宮崎貢司)

<前編よりつづく

働きづめのアメリカ生活

そうこうしているうちに、冬が寒いニューヨークでは室内コートを借りる費用がかさむ、それなら温暖な南の州へ移ろう、という話が持ち上がりました。思いついたら即行動に移すのがマックスという人。仕事は簡単に辞められないからもう少し待ってほしい、と言っているのに、ある日突然娘たちを車に乗せて、フロリダへ行ってしまったんです。

かつて、なおみは「ママを助けるために、早くテニスで強くなりたかった」とインタビューで語ったとか。フロリダでの生活も厳しかった(笑)。

毎朝5時に家を出て、空港近くの職場まで車で1時間半かけて通勤するんです。残業を終え、ヘトヘトになって帰り道の渋滞に巻き込まれると、フロリダの暖かい日差しに照らされて、運転しながらついウトウトしてしまう。どうやって運転して帰ったか思い出せないような日もあり、娘たちはよく心配していました。

働きながら栄養管理を考えた食事を作り、洗濯や掃除などの家事一切をするのは本当に大変です。そのうえ、娘たちが全米各地で開かれるどの大会にエントリーするかを考え、手続きをするのも私の役目でした。

ランチタイムにパソコンでエントリーシートを開き、「レフティ(左利き)でイヤな球を出す選手が何人かいるからパス」「こっちの大会はランキングの高い選手が少ないから有利かも」なんて検討するのです。

私は独学で身につけたマネジメントで、娘たちがプロになってからも夢をサポートしてきました。私の給料だけでは本当にギリギリで、プロのエージェント会社が決まるまではスポンサーも自力で探したくらいです。それだけに、娘たちの活躍する姿を見るのは本当に幸せなことでした。