「私たちはこれまで一度も『もしかしたらダメかもしれない』と思ったことはないんです」(撮影:宮崎貢司)
15歳でプロに転向し、これまでテニスの四大大会を四度制した大坂なおみ選手は、2019年の全豪オープン後、男女を通じてアジア初のシングルス世界ランキング1位となった。その強さの背景には、娘をプロテニスプレイヤーにすることに懸けた両親の熱意がある。苦しい日々を母・環さんが乗り越えられたのには、理由があった(構成=山田真理 撮影=宮崎貢司)

寂しさに毎日涙を流して

私が夫のマックスと、2人の娘を「プロのテニスプレイヤーに育てよう」と決めたのは、長女のまりが3歳、なおみはまだベビーカーに乗る赤ちゃんのときでした。

以来、夫が娘たちにテニスを指導し、私が働いて家計を支えるように。あれからおよそ20年、私たち家族は同じ目的地へ向かって走り続けてきました。まりは2021年に引退するまでプロとして活躍し、なおみはテニスの四大大会のうち全米オープンで2回、全豪オープンで2回優勝しています。

ただ、なおみが全米オープンで初優勝したころ、あまりにも多くのことが起こり過ぎて、私は嵐の真っただ中にいるような気分でした。一番大きな出来事は、やはりなおみが家を出たことかな。

19年に、なおみから「ロサンゼルスに家を買った」と話がありました。それまで相談もなかったからびっくりしたし、心の準備ができていなかったけど、自宅に残された荷物を全部送ってあげるしかなかった。

ほかの家庭では、進学や就職のタイミングで、段階的に親離れや子離れをするものでしょう。でもうちは違う。ずっと一緒だったのが、いきなり離れて行っちゃった。

もちろん少し経ってから、「あのときはちゃんと説明できなかったけど、一人でいろいろ考えてみたくて」となおみが言ってくれたのですが、やはりある日を境に、多額の賞金を手にした子です。

一時期は「なおみは、周囲の悪い人に唆(そそのか)されているんじゃないか」とか「家族のことが急にイヤになったんじゃないか」とか不安になって、毎日泣いてばかりいました。そしてケガが続いていたまりも引退を決意し、家を出ていきました。