写真提供◎AC
貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第30回は「貧困をぼかす報道」です。

そういう話なのか?

最近、貧困をぼかすような報道が本当に多い気がする。気がするというより多い。

先日、ヤフトピに、成人式に振袖を着られないがゆえにスーツで参加したり、または参加しない選択をした人の記事があがった。
ようやく、この話題がヤフトピになる時が来たか、と思ってクリックした。
しかし、記事の結論は振袖を着なくてもいいような空気づくりが必要では、といったもの。

正直、思いっきりズっこけた。
コメントも、
「スーツだって立派」
「振袖を着ずにお金を学業に回すのは素晴らしい」
といった内容で溢れていた。
これってそういう話なのか?と強烈な違和感を持った。

お金がなくて振袖をレンタルできないという貧困の話と、振袖以外を着たい、または振袖を着たくないという服装の選択という多様性の話がないまぜになっている。