二度目の受験と二度目の家出の失敗
二〇〇六年、二度目の受験はやはり結実しなかったが、あかりの脳裏にあったのは、受験に成功して医学部に行くことより、「母からの自立」のほうだった。そのために、二〇歳の誕生日が来るのを心待ちにしていたのだ。
この年六月、あかりは再び家出を計画した。
一八歳のときの家出では、就職の面接まで受けたものの、先方の社長から問い合わせを受けた母に止められ、家に連れ戻された。二〇歳を超えれば、自分の意思で家を出て、自分の意思で働くことができるのではないかと思ったのだ。
あかりが頼ったのは、やはり高校の国語教師だった。二〇歳の誕生日を迎える直前、あかりは身の回りの衣類などを段ボール二箱に詰め、「とりあえずこれを預かっておいてください」という手紙をつけて男性教師の自宅に宅配便で送った。石川県・金沢の会社に履歴書を出し、そこで働いて寮に住み込む計画だった。
直後、教師のもとにあかりの母から激しい電話がかかってきたという。
「あの子の日記を見たら、家出をしようとしていることが分かったんです。先生のところに荷物がいっているでしょう。それを送り返してください。あの子は、私の言うことなんてなにも聞かないんです。あの子が横に寝ているのを見ながら、何度この子を殺して自分も自殺しようと思ったか分かりません! 先生、今後いっさい、私どもには関わらないでおいてください」
結局、あかり自身が姿を見せることはなかった。母は私立探偵を雇ってあかりに尾行をつけ、先生の家に行く前に、連れ戻したのだ。
二〇歳になれば、二〇歳になれば――高校卒業以来、ずっとそう思いつづけ、そのときが来るのを待っていたが、二〇歳になっても、自立は叶わなかった。
20歳になって、親の許可がなくても就職できるのでは、と再び家出をした。母は探偵を使って私を捜し出した。面接を受けた会社の内定は取り消され、連れ戻された。