関ヶ原で勝利したのは

三成は当初、三河と尾張の境で東軍を迎え撃とうとしていた。でも福島正則(居城は清洲城)が東軍についたこと、織田秀信の岐阜城が落ちたことで計画を変更し、壬申の乱、青野原の戦いでも戦場となった関ヶ原に防衛陣を布いた。

その詳細は述べませんが、三成らの意図としては、「東軍を上方に入れない。家康は関東の田舎に帰れ」ということです。

これに対し、東軍は西軍の防禦を突破し、大坂に行きたい。ですので、美濃・関ヶ原の地に於ける戦闘は、守るのが西軍、攻めるのが東軍となります。

9月15日の関ヶ原での決戦は、周知のように東軍が勝利します。でも家康の進軍の目標はあくまで大坂城です。だから広義の関ヶ原の戦いは、この日に終息したわけではない。