「ヨン様」は、なるべくしてなった人
もともとペ・ヨンジュンは多作なタイプではなく、出演作が少ない。「冬のソナタ」以降も、前述のドラマ2本と映画2本のみ。
韓流人気が高まって、何人ものトップスターが登場したが、彼らは40代後半から50代のベテランの域に達した今も「俳優」を続けている。一方でペ・ヨンジュンはまだまだ熱いファンがあふれるほどいるのに、あっという間に表舞台から去ってしまった。
その確固たる信念はすごいものだと思う。
2013年末に、 「韓流10周年」と銘打ち、私を含めた業界の数人が中心となって声掛けしイベントを開催したとき、「ヨン様」が登場しないと韓流の記念式典の形にならないと、当時のペ・ヨンジュンの日本事務所の方が必死に動いてくれて、やっと来日してもらえたということもあった。それが最後だったと思う。
ほかの芸能人であれば、あまり公の場に出てこない人でも、誰かの映画の舞台あいさつなどがあれば会場に登場するなど、たまに顔を見せることもあるが、彼の場合はそういうことがほとんどない。
本人自身に何ともいえないオーラと魅力があり、登場すれば誰もが見たい人なのに、それを自覚しつつも自分の信念を厳しく守り自制する。並大抵の精神力ではないと思う。
そういう点でも「ヨン様」は、なるべくしてなった人なのだ。
※本稿は、『「ヨン様」の名付け親が初めて語る韓流秘話 韓流前夜』(東京ニュース通信社)の一部を再編集したものです。
『「ヨン様」の名付け親が初めて語る韓流秘話 韓流前夜』(編集、著:丸山 幸子/東京ニュース通信社)
今年は韓流上陸20周年記念の年。2003年に「冬のソナタ」がNHKで放送されてから20年、ペ・ヨンジュンに始まったブームはすぐに終わるかに思えたが、その後ドラマからK-POPに波及し、日本を、世界を席巻し、世界最強ともいえるコンテンツに大きく飛躍していった。当時、嵐のような韓流ブームが巻き起こる直前に、その予兆に気づいて一早く雑誌メディアで取り上げたのが「もっと知りたい!韓国TVドラマ」編集長の丸山幸子だ。ペ・ヨンジュンを「ヨン様」と名付けたその人である。彼女自身が「冬のソナタ」にハマり、突き動かされるように出版を企画し、予想もしなかった大ヒットを収め、その後の日本における韓流文化を20年近く伝え続けることになる。そんな「韓流前夜」の様子から、その後の韓流文化の大きなうねりを間近で見てきた彼女が当時を振り返り、どのような経緯をたどり現在の「世界最強」ともいえるコンテンツに成長していったのか、自身が雑誌を作るうえで感じ、見てきたところをあますところなく伝える。パク・ヨンハ、ヒョンビン、チャン・グンソクなど実際に会った多くの韓流スターの取材裏話も。