高校を卒業してからは「裸になる役」のオファーもいただきました。誰もあまり手を挙げないので、その枠だけ、やっぱり空いているんですね。だったら、私が手を挙げてやろうって。トラック運転手の娘として生まれ、芸能界に何のツテもない自分がこの世界で生きていくには、裸でも殺人鬼でもなんでもやって、行けるところまでとことんやってやろうと決めたんです。
恥ずかしいなんて、ちっとも思いませんでした。日常生活ではできないことが役の上ではできたので、むしろ楽しかったですね。うちの父はしつけに厳しい人だったので、毎日のように礼儀作法などを口うるさく注意されて、口喧嘩になることも多かった。そこで溜まったうっぷんをすべて演技で発散できましたから。
そんな厳格な父でしたが、私がどんな過激な役を演じても、「お金をもらって仕事をしているんだから、きっちりやってこい」と言ってくれたのです。父の生家は、もともとは裕福だったのですが、戦後の混乱期に家と土地が人手に渡ってしまい、戦後は非常に貧しい暮らしを強いられた。そんな家庭の次男として経済的に苦労しながら生きてきた人なので、「お金を稼ぐ」ことに関しては自分のベストを尽くせというのが信条で。
おかげで、次から次へと過激な役をいただいて。「激しい女優」「包丁と血が似合う女優」と言われる度に、「私の戦略は正解だった」と、むしろ嬉しかったんですよ。