なぜ川中島だったのか
一通りお話をいただいたところで、バスは長野市の川中島古戦場史跡公園に到着いたしました。
公園には武田信玄が本陣を築いたとされる八幡社が鎮座。境内には首塚や三太刀七太刀之跡などもあり、往時をしのぶことができるようになっています。
また第四次「川中島の戦い」で両軍がどういった布陣だったのか、という解説の看板や、あまりに有名な信玄・謙信一騎討ちの像も。
周囲を散策するだけでも、信玄・謙信ファンにはたまらない施設になっています。
像の前に立った先生は、あらためて解説を始められました。まず一つ目のポイント、なぜ川中島だったのか、ということ。
そもそも川中島とは、犀川が千曲川へ合流する地点から広がる土地で、古来から交通の要であった。また、有名な仏教寺院・善光寺が控えるなど、信仰的な意味でも価値が高く、武田・上杉双方にとって抑えたい要所となっていた。
それらの結果として、この周辺で戦いを重ねることになったようです。