彼を思って泣いた私も大事にしたい
この数ヵ月で、私は「ちょっと会いたいな」なんて思うことはまったくなく、むしろいなくて大丈夫だと確信を持つことになりました。これまで、夫が泊まる日は「もし地震が起きても、パパがいるから安心だわ」と思っていたんです。でも先日地震があった時、なんとも思いませんでした。
ある意味、寂しいですね。なんでこんなに頼れなくなったのかなって。私がしっかりしたわけじゃないんですよ。一人で生きていかなければという気持ちになっただけ。彼がそうさせたんです。孤独って慣れます。彼にはもう期待もしていませんし。「諦める力」というのは、後ろ向きやなく前向きな力やと思いますね。絶対に必要です。
なぜ離婚しないのか、よく聞かれます。現実問題、夫は77歳。もし離婚して、夫が住んでいるマンションをさし上げたとしましょう。でも、年金生活の夫には10万円近い共益費を毎月支払うのは無理。マンションを売って賃貸物件を探して暮らすにしても、77歳の男性が借りることは難しいでしょう。
たとえるなら、あの人は甲斐性のない石原裕次郎。でも、私にとってはまぎれもなく石原裕次郎なんです。だから物件を借りられなくて困っている姿は見たくないし、レジ袋から葱の先っぽをのぞかせて褞袍(どてら)を着て歩くおじいさんにはしたくない。それはきっと、20歳の時に彼を大好きになった私自身を裏切ることになるんです。
彼には、かっこよく旅立ってほしいと思っています。……これだと「はよ死ね」言うてるみたいですね(笑)。かっこよく《生きて》ほしい。恋焦がれて息ができなかった、星を見ながら彼を思って泣いた私も私ですから、そこも大事にしてあげないとね。言うたら、私の一番よかった時代を作ってくれたのは彼ですよ。あんなに好きになった人はいません。
今、はっきりわかりました。夫は私にとってまだ《大事な人》なんです。一生で一番関わった人ですもん。今日まで離婚していないのは、やっぱり何やしらん縁があるということなのでしょうね。