ノンフィクションだから感じられる、当時の貴族社会

その理由は、人間性である。「枕草子」からは、恥ずかしがり屋だが正直な清少納言の、生身の人間性が感じられる。

『ひとりになったら、ひとりにふさわしく 私の清少納言考』(著:下重暁子/草思社)

「源氏物語」のようなフィクションではなく、日々の暮らしで見つけた事ども、一条天皇の皇后定子(ていし)の元に宮仕えに出ることで見えてきた貴族社会の権力闘争をはじめとする虚実の数々。

初めは憧れであったものが、現実を知ることで、清少納言の物を見る目はいっそう磨かれ冴えわたる。遠く千年を経ても、今も同じである。

人間とは何か、生きるとはどういうことか。現代に重ねても、違和感がない。

そして最後に残るものは、きらびやかな館でも、色鮮かな十二単でもない。ひとりになって見えてくるものは、人への想いである。

清少納言にとっては、定子というかけがえのない恋人。

男でも女でもいい。思い出を反芻して生きる。ひとりになったら、ひとりにふさわしく……。