年を重ねたことで、心の中に土壌ができる

年を重ねて気が付いたことがある。日本の古からの芸能である能、狂言など、若い頃は退屈で、見ることはなかった。

ある日、ふとつけたNHKのEテレで舞台中継を観て魅せられた。能「卒塔婆小町」と狂言「釣狐」だったか。勉強したわけでも、きっかけがあったわけでもない。

今まで何もわからず関心のなかったものが、すっと心の中に入ってくる。言葉の一つ一つも。

いったいなぜなのか。

年を重ねて私の中に受け入れる土壌ができたとしか思えない。

古典芸能と同様、「枕草子」もこの年になって初めて味わえる。清少納言の晩年に見る「あわれ」や「をかし」。それを自分のものとする機会を得た。