見た目に暑苦しいものを排する工夫

今では川筋に沿って養殖した蛍が光るのを見に行く位だが、やはり風情がある。

三十年ほど前、岐阜県美濃赤坂の杭瀬(くいせ)川がわの両岸にイルミネーションのように輝く源氏蛍を見た。

数年前、新潟県の山中では、天から地から湧いてくる蛍を見た。車の灯を点滅させると同類だと思って近付いてくる。肩に腕に首筋にまですり寄ってくるのだ。

現代の私たちでさえ蛍には、この世のものではない幻想を見る。まして平安人は、様々な思いを託したことだろう。

『暑(あつ)げなるもの、隨身(ずいじん)の長(をさ)の狩衣(かりぎぬ)。衲(なふ)の袈裟(けさ)。出居(いでゐ)の少將。色くろき人の、いたく肥こえて髮(かみ)おほかる。琴(きん)の袋。七月の修法(さほう)の阿闍梨(あざり)。日中の時などおこなふ、いかに暑からんと思ひやる。また、おなじ頃のあかがねの鍛冶(かぢ)。』

狩衣や袈裟や服装の暑くるしさ、肥って髪が多いのも、みな見た目に暑くるしい。日中にお祈りをする僧や、赤銅をうつ鍛冶場。これはもう聞くだに汗が流れてくる。

目に見えるもの、耳に聞こえる音、かつては五感を総動員して涼しさを求める工夫があった。

※本稿は『ひとりになったら、ひとりにふさわしく 私の清少納言考』(草思社)の一部を再編集したものです。


ひとりになったら、ひとりにふさわしく 私の清少納言考』(著:下重暁子/草思社)

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