赤塚と出会う前のタモリ

6月には九州からタモリを呼び寄せた。

タモリは45年生まれで福岡県の出身。赤塚とは10歳違いだった。本名は森田一義。早稲田大学時代はサークルの『モダン・ジャズ研究会』に属し、『タモリ』は森田の逆読み、その当時に名付けられたものだった。

『赤塚不二夫 伝 天才バカボンと三人の母』(著:山口孝/内外出版社)

72年、ジャズピアニストの山下洋輔トリオが仕事で福岡・博多に行ったとき、ホテルの部屋で、テレビの音を消して時代劇を見ながら、デタラメ韓国語の即興劇で盛り上がっていた。それを、開いていたドアから見ていたタモリが乱入し、独自の即興劇を披露した。

トリオは圧倒され、爆笑となった。帰京した山下が、新宿のバー『ジャックの豆の木』でその話をしたところ、東京に呼ぼうということになった。

山下は3年間かかってタモリを探し出した。