赤塚がほれ込んだタモリの才能

上京したタモリは『ジャックの豆の木』で、さっそく芸を披露する。

すべてデタラメながら英語、ベトナム語、韓国語、中国語もどきを巧みに操った『4カ国語麻雀』や『ターザン』ネタなど、次々出される『お題』をすべて即興で、しかも爆笑を誘いながら完璧に演じるタモリに赤塚がほれ込んだ。

(写真提供:Photo AC)

「泊まるとこあるの?」
「ない」
「じゃ、ウチ行こう」

当時、73年に離婚してから赤塚が住んでいた目白のマンションに連れて行き、そのまま住まわせてしまった。家賃17万円を負担するばかりでなく、家具、食料、酒、服、車、挙げ句に小遣いまで、ほぼ1年間、衣食住すべてにわたって面倒を見た。

赤塚自身は、仕事場でロッカーを倒し、その上に布団を敷いて寝起きしていた。

「僕が一番金を持っていたし、九州に帰したら日本のエンターテインメント界の損失になると思った」とまでタモリを買っていた。

当時は“独身”。少年週刊誌3誌で連載を抱え、『週刊文春』では『ギャグゲリラ』がロングラン中だった。アニメ『元祖天才バカボン』が放映され、テレビでレギュラー番組を持つなど、絶頂期が続いていた。