そしてテレビ出演、大ブレイクへ
タモリのテレビ初出演は76年、NET(現テレビ朝日)のバラエティ番組『赤塚不二夫の世界』だった。
82年、フジテレビのバラエティ番組『笑っていいとも!』の司会に抜擢され、以後大ブレイク。月曜から金曜まで週5回、昼の生番組は2014年まで、実に31年半も続いた。
赤塚は『いま来たこの道帰りゃんせ』で、こんなことを書いている。
「居候文化、というものがあると思う。売れないやつが売れてるやつのところへ居候して、その間に学び、鍛え、充電する。そして、居候が世に出ることをもって、お返しと受け取る。(中略)経済的には大変に違いないが、人間同士の触れ合いによる、文化の継承形式の一つだと思う」
1年後、タモリは高円寺のマンションに移り、博多から夫人を呼び寄せ独立。
「ボクの夢は見事に花開いたのである」と。
※本稿は、『赤塚不二夫 伝 天才バカボンと三人の母』(内外出版社)の一部を再編集したものです。
『赤塚不二夫 伝 天才バカボンと三人の母』(著:山口孝/内外出版社)
強い、弱い、きれい、汚い……。
すべての存在をあるがままに命がけで肯定した天才と、その天才を生み育てた「母」の物語。
3人の「かあちゃん」が大好きだった、赤塚不二夫のすべて。