(写真提供:Photo AC)
『おそ松くん』『天才バカボン』など、「ギャグ漫画」のジャンルを確立した天才漫画家・赤塚不二夫先生。晩年期の赤塚先生を密着取材していたのは、当時新聞社の編集記者だったジャーナリストの山口孝さんです。山口さんは、先生から直接「評伝」の執筆を勧められ、長い時間をかけ『赤塚不二夫 伝 天才バカボンと三人の母』を書き上げました。「最後の赤塚番」が語った、知られざる「赤塚不二夫伝」を一部ご紹介します。

「天才っていうか、天分」

「俺は女を捨てたことはない。みんな、(俺が)振られたようになって終わる」と自慢げに話したことがある。

登茂子(=最初の妻)は「あれね、天才っていうか、天分」と言う。

「別れるにあたっては、自分から言ったことはまずないんじゃないですか。私が最初で最後。絶対自分から言わない。相手が離れていくのを待っている」

73年の秋だった。家に帰ってくるなり、「別れてくれ」と切り出された。

愛人から「私が慰謝料払うから、離婚してください」と迫られたためと言う。

登茂子は即座に、「はい、分かりました」と答えていた。